第3章 マネジメントから見た司教団の誤り

2.本論考における私の「立ち位置」

3.司教団の誤り

『マネジメント』は、目的を定め、その実現のために正しい方法を取ることを求めている。「1984基本方針」において司教団は「宣教」と「社会の福音化(社会活動)」を2本の柱に置いた。それ自体についての私の疑問は後述するが、それはさておき、実際の活動は一方に偏り、「宣教」は忘れ去られた。「宣教」よりも「政治活動」が楽で派手だからである。

しかも、そのことが福音宣教にはマイナス要因になっている。その悪影響の大きさを司教団は気づいていないようである。実際は気づいているのだろうが、止められないのかもしれない。大本営が戦線を拡大し続けたのと同じである。

本論考は、司教団に「こうして下さい」との提言でない。私が申し上げるのは、こうした政治的発言を「やめて下さい」という、お願いである。何かをして下さいというのではない。やめて下さいと言うだけである。司教団の発言は、同じ考えを持たぬ信徒を苦しめている。

司教の立場で発する政治的言動は、異なる考えを持つ信徒への「パワーハラスメント」である。そのことの自覚が欲しい。

ある婦人から話を聴いたことがある。

夫は国家公務員で、ずっと国側で仕事をしています。反政府的言動の目立つカトリック教会で、これまでも辛い思いをしてきました。共同祈願で政府を糾弾する内容が読まれ、具合が悪くなったこともあります。

夫を教会に連れていきたいと思いますが、「カトリック信者なら、野党側の政治主張を持つのが正しいのだ」という風潮がある限り難しいです。逆に私の教会行きを止められるかもしれません。

神様は全ての人を招いて下さっているのに、どうして聖職者自らがそれをわざわざ邪魔なさるのか、心底理解に苦しみます。私は、大好きなイエス様が家族に誤解されることが、ただただ残念で悲しくてならないのです(ご本人の了解を得て掲載)。

逆宣教である。こういう苦しみを真面目な信徒に与えている。

家族の中で信徒は自分一人、というご婦人は普通にいる。夫に、ある場合は舅姑に気遣いつつ教会へ来ている。夫や家族を安心して誘える教会でなければならない。

厚生労働省に『職場のパワーハラスメントの定義』というページがある。

・上司から部下に対するものに限られず、職務上の地位や人間関係といった「職場内での優位性」を背景にする行為が該当すること
・業務上必要な指示や注意・指導が行われている場合には該当せず、「業務の適正な範囲」を超える行為が該当すること

司教・聖職者は、「教会」において、明らかに信徒とは異なる職権を持っている。司教は権力者なのである。ミサ説教に反論はできない。この位階差は、経営者と従業員の比でない。

従業員は経営者を選ぶことができる(転職)。取締役は社長を解任することもできる。司教は、好んで使う“弱者 ”と、対極の存在である。ほとんど完璧な安全地帯にいる。そして、好きなことを言う。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『マネジメントから見た司教団の誤り』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。