第一部 日本とアメリカ対立—

第二章 緊張の始まり

日米了解案

〈我輩の違和感〉

●「米国の修正を経たる後」と訳されているこの日本語案は明らかに無理がある。subject to という条件は「米国側だけ」ではなく「日米双方」に同時並列に付く条件で時間の後先はない。

しかもその条件が「米国側は修正」に対し、「日本側は公式・最終決定」と両国で異なるところに問題がある。これは「日米共に相互に修正条件」とするか「日米共に相互に公式且つ最終決定条件」とするかいずれかにすべきところだろう。

●その際、最初に提案したのが米国側であれば、

「まず先に米国側が条件を公式に決定して日本側に提案し、それを呑めるかどうかを日本側に検討させ、日本側が修正した場合は米国側が更に検討・修正して最終合意に向けて討議する」のが普通の公平なプロセスではないか? 

いずれにしてもこの条件の付け方は曖昧且つ傲慢。

●更に文中の「of course」という言い方も曲者。米国側のペテン師がこの時点でまだ米国政府の了解を得ていないことから付けたのか、それとも日本側が最終決定した後でも米国側は〝都合が悪ければいつでも修正することがあり得る〟ことを匂わせたのか、いずれが隠された意図かは不明。

もし前者(米国政府の修正前)であれば、先に米国側で修正した後、日本側に送付すべきであって、米国側が修正もしていないこの時点で大急ぎで日本側に提示し、しかも日本側だけに公式・最終決定の条件を付けるなどは傲慢で思い上がりも甚だしい。

●これは交渉の主導権争いという非常に大事な点で、外交交渉だけでなくビジネスの世界でも同じだ。国際間の交渉に従事した方には容易にご理解頂けると思う。両国のペテン師間の鍔迫り合いと同時に国家間の交渉を弄ぶペテン師たちの自己満足の姿が垣間見える。

●またsubject toとかof courseといったこの種の「一見何でもないように見える副詞や接続詞を巧妙に滑り込ませておいて土壇場でどんでん返しをする」のは英語を母国語とする米英人種族の得意技。

これは日本の役所が各種の法案、改正案で好んで使用する「……等」と同じだ。この漢字一語をさりげなく挿入しておくことで法案等の用語・字句の定義や適用範囲が役所の自由裁量で勝手に拡大解釈できるようになる。同じ役人なのに現地側も日本側も先方の意図を見抜けなかったのは不思議だ。