第3章 マネジメントから見た司教団の誤り

2.本論考における私の「立ち位置」

3.司教団の誤り

それでは、それらの発言が「業務の適正な範囲」に入っているかどうか。教会は政治との関わりについて次のように教えている。

カトリック教会のカテキズム 2246

「人間の基本的権利や霊魂の救いが要求するときには、政治的秩序に関することがらについても倫理的判断を下すこと」は、教会の使命に属することです。「これらを行うにあたって教会は福音にふさわしく、時と条件の違いに応じてすべての人の益にふさわしいあらゆる手段を、そしてそれのみを用いる」のです。

同 2442

政治体制の構築や社会生活の組織づくりに直接に介入することは、教会の司牧者の任務ではありません。この任務は信徒の召命の分野であり、信徒は他の一般市民と力を合わせながら自らの発意でそれを果たさなければなりません。

社会活動には具体的にはさまざまな形がありえますが、どんな形のものであっても、それはつねに共通善を目指し、福音と教会の教えに従って行われなければなりません。「キリスト教的関心に基づいてこの世の現実に活力を吹き込むのは、信徒の役割です。そしてそのことによって信徒は、平和と正義の証人となり、担い手となるのです」。(原文通り)

教会の社会教説綱要 424

(前略)「宗教や倫理とのかかわりがないかぎり、教会は政治計画の利点に関する議論にかかわるべきではありません。

以上のようにカトリック教会は、人間の基本的権利や霊魂の救いが要求するときに倫理的な判断をすることは教会司牧者(司教、神父、いわゆる聖職者)の「使命」であるが、それ以外は「かかわるべきでない」と教えている。

したがって、司教様方の発する政治的発言、「憲法九条」「原発」「国旗国歌」「天皇」「防衛」「秘密保護」等々の発言が、「人間の基本的権利や霊魂の救いが要求するときの倫理的な判断」の対象に該当するかどうかの問題になる。該当するなら、それは「職権に基づく本来業務」である。該当しないなら、本来業務を外れた信徒への圧迫になる。

私を含め私の仲間たちは、根本問題として、何度もその点を司教様方に質問したのだが、答えはない。答えの代わりに出されたのが、

『なぜ教会は社会問題にかかわるのか Q&A』
(日本カトリック司教協議会 社会司教委員会・編 2012年2月15日)

だろうが、この本にも実は答えはない。同書の第一問「教会はなぜ、社会問題について発言するのですか?」への回答に、

(前略)ですから、教会は、福音を生活によってあかしするだけでなく、人間のいのちの尊厳と基本的人権、共通善などにかかわる諸問題を福音と教会の教えに照らして理解し、人々の救いのために必要であると判断するとき発言するのです。」(15ページ)と答えている。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『マネジメントから見た司教団の誤り』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。