第3章 マネジメントから見た司教団の誤り

2.本論考における私の「立ち位置」

私は小さい会社の経営者の一員として半生を過ごした。大成功した経営者とは言えないがそれなりに50年存続し、今も会社は健全に継続している。

私は常にドラッカーの『マネジメント』を念頭に置いていた。

宣教は、会社における新しい顧客の獲得と同じと思う、というのが私の立場である。それを笑う人には、本論説は通じない。

聖パウロは史上最大のセールスマンだった。私が言うまでもなく、多くの人が言っている。

伝道は一種のセールスである。新約聖書のパウロを、セールスマンの教科書とする企業がアメリカにあっても別に不思議ではない。伝道とは、ある人を回心させて、自己の信仰、言いかえれば宗教的信念の方に向けさせることだが、それが具体性をもつ商品ではないだけに、最もむずかしい。(山本七平『宗教について』PHP研究所83ページ)

上記のように、「新約聖書のパウロを、セールスマンの教科書とする企業」がアメリカにあると山本七平氏は伝えている。「伝道・宣教」を、「売り込み」と置き換えれば分かりやすいであろう。

教皇は社長である。枢機卿は取締役、各省長官は役付取締役と言えるだろう(正確には枢機卿でない長官もいるが)。司教は支店長と考える。

(この視点を私は独創的と思って本文作成にとりかかったのであるが、実は教皇庁がすでに1996年、そのような問いかけをしていたらしい。後述参照)

その目で見ると日本の司教たちは、数十年、まったく売上の増加をしていない支店長である。その原因は、

  1. するべきことをおろそかにし、
  2. してはならぬことをする、のみならず、熱心にする。

逆噴射しているのだから、落ちないのがむしろ不思議である。

単純に信徒総数の推移を見る。

写真を拡大 [図1] 日本におけるカトリック教会現勢

2002年の、「カトペディア」と「イヤーブック」の数値が一致しているので、この資料は1988年以降、連結したものとして扱ってよいと思う。

カトペディアは1992年と2004年に発行され、その後、イヤーブックに引き継がれた。イヤーブックの1号が2008年版で、収録データは2006年のものになる。

それ以前の3年、所在不明者の数字が記載されていない(2002年はカトペディアに数字がある)。

キリの良いところで2000年を基準とすると、2016年、信徒数はほぼ同じ(微減)、しかし驚くのは「所在不明者」の多さである。

1割の者が行方不明というような集団が、世にあるのだろうか。

司教が憲法九条を騒ぐのは、直視しなければならぬ現実を見たくない、目をそらせたいからだと思ってしまう。そのほうが楽だからだ。

九条は司教に言ってもらわなくても、我々は多くの情報を持ち、自分で判断できる。日本の司教団は、自分の言いたいことを見境なくしゃべりすぎるのである。そのことによって信徒間の分裂を生み、一部信徒を教会から遠ざける。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『マネジメントから見た司教団の誤り』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。