第4章 皇室、神道

2.神道への敵視

「司教団発言」292本のうち、神道関係は14本である。靖國神社参拝反対9本、伊勢神宮参拝反対5本。

私は長兄が戦死しているので、両親や姉たちから、東京近辺にいる限りは靖國へ参ってくれと言われている。春秋の例大祭、7月の「みたままつり」、9月30日の「永代神楽祭」(長兄の戦死公報に記された戦死日。実際はその50日前8月10日に部隊は玉砕していた)、そして8月15日、この5回は行く。

靖國で感じるのは平和(安寧)への願いであり、戦争鼓舞など微塵もない。神職は常に「御霊(みたま)の願いは皆様の安寧です」と言う。当たり前である。戦争で死んだ者以上に平和を望む霊魂があろうか。

このあたりはカトリック司教団の見解とまったく異なる。私は、司教方は、靖國を知らないと思う。行ったことがないと思う。見ず知らずで批判するから、世間とずれる。世間とずれて宣教はできない。

現し世の数の苦しみ
たゝかひにますものあらめや

春秋の例大祭で歌われる『鎮魂頌』の、おそらくここがテーマである。反戦歌だ。

7月の「盂蘭盆会」に合わせて行われる「みたままつり」も、大変な人出である。それも若い人が多い。子供をつれた家族も多い。浴衣を着た外国人も多い。靖國神社の参拝客の特徴は、若い人と家族づれが多いことである。

数年前、夙川の河野定男氏を案内した。河野さんは、「境内で行われるお祭りとしては最大だろう」とおっしゃった。多くのお祭りは街路へ繰り出す。みたままつりは外に出ない。時間によっては芋こぎ状態になる。しかしこれが不思議に報道されない。報道されないけれどみんな知っているから集まってくる。

これらの人々こそ宣教のターゲット、魚群ではないのか。

司教様方もお忍びで浴衣がけして「みたままつり」へ出かけてみてはどうか。「宣教」へのファイトが湧き上がると思う。敵情視察とも言える。それくらいの気合いがなければ宣教はむずかしいだろう(群衆を見て気が萎えるかもしれないが)。

どうして司教団がこのように「神道」を敵視するのか。

2008年9月14日、大阪で、谷大二さいたま司教(当時)の「憲法20条」に関する講演があった。下記はその一部の文字おこしである。内容の確認を谷司教にお願いしたが、返事はなかった。録音内容とは一致している。

そして、「政教分離」という言葉をですね、どういう風に訳すか、ということが少し問題になったことがあります。それは私たちが出した日本の司教団のメッセージ、それを訳するときにですね、英訳をどういう風につくるかという問題なんですね。一番最初に出てきた訳は、Separation of Religion and State と訳した。そうしたら英語圏の宗教者たちが、これは何の訳だか分からないと言い出したんですね。Religionというのは「宗教」というよりもうちょっと何か違うニュアンスを持っているらしい。

じゃあアメリカはどういう風に言うんですかと聞いたらですね、Separation of Church and Stateと言われているそうです。これではっきりするわけですよ。キリスト教中心のアメリカやヨーロッパでは、教会が一番ガンなんだと。そして国家と教会が結びつくことによって様々な問題が起こってきた。だから教会と国家、それをはっきりと区別して、その二つが結びつかないようにということが、政教分離の意味です。

国と特定の宗教団体が結びつかない、じゃあ日本で、どういう風に訳すのか。これは戦前の歴史の反省から生まれてきた憲法20条ですから、Separation of Shrine (Shinto)and Stateまあ、こんな風になるんじゃないかと。神道、国家神道と国家の分離。神道と国家の分離。これが日本における政教分離という言葉の、正確な訳ではないかと思っております。

この講演で谷司教は、「信教の自由の対象に神道は入っていない、神道からの信教の自由である」と語っている。神道を信教の自由を抑圧するものと見ているのである。

神道ほど他宗教に寛容な宗教はないのに。神道を知らないし、知ろうともしていない。日本人に対する宣教の放棄、というより、最初から「宣教」をまったく考えていないのである。上の発言に先立って谷司教はこのようなことを語っている。

この憲法20条は成立に当たっても、元々は敗戦の時のポツダム宣言の受諾ですね。ここから始まっていますけれども、その中に、言論、宗教、思想の自由の確立という風に書かれています。これを元に1945年に神道指令が出され、この靖國神社が一宗教法人になった。そして憲法20条が出来て、その上で憲法20 条の、9条もありますけど、その上でサンフランシスコ講和条約、平和条約(******)独立が(?)なされたのです。そういう意味では20条も、世界から独立の条件として示された重要なものであると思います。 (一部録音不明瞭)

このことは加瀬英明氏の次の言葉で裏付けされる。

先の戦争の敗戦後に、アメリカ占領軍がまったくの無知から、神道を宗教だと位置づけたために、日本政府も神道を宗教の一つとしてみなすようになっています。当時のアメリカ人は無知で、日本が野蛮だと見下していた野蛮人でしたから、神道を未開な野蛮きわまる宗教だとみなして「政教分離」を強制したんです。

『マッカーサー回顧録』のなかに、そうはっきりと書いてあります。あの時代のアメリカ人はほぼ全員が日本の文化に関心がなかったから、そのように思っていました。アメリカは、同じ敗戦国だったドイツも占領して統治しましたが、ドイツはキリスト教国でしたから、もちろん、「政教分離」を強要しなかった(『神道が世界を救う』勉誠出版、36ページ)。

まったく違う立場からの二つの発言であるが、内容は一致する。つまり憲法20条の「政教分離」は、連合国の神道に対する規制だった、ということである。

そして日本のカトリック司教団は、その立場を今も守っている。GHQの申し子だ。そろそろ目を覚まして日本人と日本の歴史を、もっと優しい目で見たらどうか。

伊勢神宮の日々がどれほど静謐で、周辺がどれほど穏やかな賑わいを持っているか。そして、伊勢神宮も明治神宮も靖國神社も、多くの外国人が来ている。アジア人も多い。

「散歩」でいいから歩いてみて、様子を探るべきと思う。私が司教ならそうする。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『マネジメントから見た司教団の誤り』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。