栗に願いを

私の城であるこの家は天井が高く、無駄なものに囲まれていなく、落ち着けるちょっとした場所がいくつもあった。引っ越してきた当初は、殺風景だった庭。そこには、次々と花が植えられ、前の住人が大切に育てたと思われる栗の木も健在だった。

とはいっても庭の手入れは月に一回見に来てくれる近所の花屋さんに頼んでいた。手入れが終わった後、彼女と一緒にお茶を飲むのも習慣になっている。その時に出すお菓子を手作りするのも日常の中のささやかな楽しみだった。甘いものが大好きな彼女は、私の作ったお菓子を満面の笑みで頬張り、残りをいつも持ち帰っていた。

「未希さん、次はクレマチスを植えませんか?」
「クレマチス? どんなお花なの?」
「つる性植物の女王、って言われてるんですけど、色のバリエーションも多いし、このお庭にも合うと思いますよ」

センスのいい彼女がいろいろとアイデアをくれるので、私はそれに乗っかることが多かった。彼女の好みが自分と似ているのもありがたかった。そして、彼女が手伝ってくれる毎年の恒例行事がある。それは栗の収穫。子供の頃に遠足で栗拾いをした記憶はあったが、大人になって、こんなにもたくさんの栗に囲まれることは想像もしていなかった。

この家の栗の木の収穫量は、年々増えていった。収穫した栗は、栗ごはんにしたり、渋皮煮を作ったり、マロンタルトにしたり、と毎回あらゆる方法で調理をして自己消費しているものの、ご近所にお裾分けしても余るようになってきた。

捨てるのはもったいないし、どうしようかな? と思っていた時に思い出したのが、以前仕事でお世話になった横浜の養護施設だった。園長さんに電話で連絡をすると、とても喜ばれたので、初めて送ったのが三年前。そこから毎年収穫した栗を箱に詰めて送ると、その栗を使って作られた料理の写真と一緒に、お礼のメールが届くようになった。

今年も同じように、そろそろ収穫の時期かな? という頃、突然一人の青年が訪ねてきた。インターフォン越しに聞こえたのは、穏やかだけど響く声。

「初めまして。左向です。左向洋次の息子です」

例の養護施設の園長の息子さんらしい。アポぐらいは取ってから来て欲しいな、と心の中で思いながら玄関のドアを開ける。

「すみません、突然。連絡しようかどうか迷いながら結局、そのまま来てしまいました」


「えーっと。今日はどういったご用件で?」

探り口調で聞いてみると、彼はこう言った。

「栗の収穫のお手伝いにきました! 毎年ありがとうございます! あと、どんな方が送ってくださっているのかも知りたかったので」

あまりにも自己中心的で、あっけらかんとした答え。

「そうでしたか。とてもありがたいですが、事前に連絡は欲しかったですね」

以前の私ならその場で追い返していたかもしれない。ここに住んでからは随分と気持ちにゆとりが持てるようになったので、落ち着いた受け答えができたけど。

「ですよね。申し訳ありません。今日の休みも昨日の夜決まったので、朝に連絡してからだと着くのも遅くなってしまうと思って……」

「お忙しい毎日なんですね。まあ、お疲れでしょうから中へどうぞ」

自分のことを全く知らない人に会うのは新鮮だった。まっすぐな性格なんだろうな、と思わせる言葉の選び方、優しさを感じる雰囲気、ナチュラルさにも少し吸い込まれて初対面とは思えないくらい。こんな気持ちは久しぶりだなあ。

「すみません、やっぱ迷惑でしたよね?」
少しは気にしているようだ。

「いつも手伝ってもらっている助っ人がどうしても都合がつかなかったから今年の収穫は一人でやるつもりだったの。ちょっと気が遠くなってたから逆にありがたいわ」

「失礼なんですけど、ものすごく年配の方と勝手に想像していました。だから泊めてもらえるとラッキーかな? なんて思ったんですけどそうはいかないですよね。この辺りで宿泊施設ってありますか?」

一応女性として見てくれて、遠慮はしてくれているみたい。

「近くに超高級ホテルや温泉宿もあるんだけど、私は使わないのでいい情報はあまり知らないのよ」

「そうですか。後で調べてみますね」

その返事を聞き終わると同時に口が動いた。

「向こうの部屋は物置になっているから、少し片付けたらスペースはできるので、もしそこでもよければ……どうぞ」

自分でも珍しくスラっと出てきた言葉だった。そう言わせたのは、紛れもなく、目の前にいる彼だった。

※本記事は、2020年8月刊行の書籍『君と果実を』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。