太陽電池のニッチ市場でつなぐ

1957年10月に、ソ連が世界初の人工衛星スプートニク1号を軌道に乗せることに成功しました。

この時の電池は化学電池で、その電池の寿命は3週間で送信が切れました。

アメリカは1958年3月に打ち上げた2番目の人工衛星ヴァンガード1号から、太陽電池を搭載し、その後の人工衛星のほとんどは太陽電池を用いるものとなっていきました。

日本も太陽電池の発展には大きく貢献してきました。

早くも1957年、つまり、ベル研で1954年に太陽電池が開発されてわずか3年後、東北電力は僻地の無線中継局の電源として太陽電池を用いることにし、1958年11月に福島県信夫山無線中継局の屋上に日本初の太陽電池が稼働しました(日本電気製。出力70ワット)。

その後、1959年に無人灯台、1963年にエジプトの砂漠横断道路の無人灯台に日本製の太陽電池が設置されました。

このように日本の民間企業はいち早く太陽電池の開発を始め、孤立した地域の特殊な電源として民需を切り開いていきました。

アメリカでは、1973年8月、ソーラーレックスという新規企業が、ワシントンDC郊外のメリーランド州ロックビルで創業しました。

創業者のジョーゼフ・リンドマイヤーは、現在、世界中で製造されている太陽電池の基盤となっているプロセスを開発しました。

創業から2ヶ月後に第1次石油危機(1973年10月)が起き、ソーラーレックスは、1年とたたないうちに利益をあげて、初の商用太陽電池企業となりました。

1970年代半ば、石油危機に影響されて、アメリカ政府はソーラー開発計画をつくり、太陽電池の開発に乗り出しました。エネルギー省の助成金に刺激されて、大小の企業がこぞって太陽電池の分野に参入し、効率を高めるさまざまな方法を探りました。

このように1973年の第一次石油危機、1979年の第★次石油危機のあと、欧米も日本も太陽電池を含む石油代替エネルギー技術や省エネルギー技術の開発に奔走しました。

しかし、1980年代初頭にレーガン政権が発足し、ソーラー予算の3分の2を削減してしまいました。

80年代後半には石油価格が下落し、各国も石油代替エネルギー技術開発の予算を削ってしまい、太陽光発電の夢は忘れ去られてしまいました。