【前回の記事を読む】イギリス産業革命が「連鎖反応的に広がっていった」意外な理由

第二章 産業資本主義

《一》イギリスの産業革命と産業資本主義の誕生

コークス製鉄法の開発

機械を作るには安価で大量の鉄を必要とします。イギリスは幸い鉄鉱石には恵まれていましたが、銑鉄を作るにはどこでも木炭が使われており、もう製鉄のために木材を使いすぎて一七世紀にはイギリスでは「森林の枯渇」という深刻な事態に陥っていました。

そこで、イギリスに比較的豊富にあった石炭を使って製鉄ができないかといろいろ試みられましたが、石炭の硫黄分が邪魔をして製鉄には使えませんでした(硫黄分を含んだ鉄はもろかったのです)。

一七〇九年、シュロップシャー(イングランド中西部)の製鉄業者エイブラハム・ダービー(一六七七~一七一七年)が、コールブルックデール工場でコークスに木炭くずと泥炭をまぜて高炉による最初の溶融に成功し、コークス製鉄法を開発しました。コークスとは、石炭を乾留(蒸し焼き。一三〇〇度以上)した燃料のことで、蒸し焼きにすることで、石炭から硫黄、コールタール、ピッチなどの成分が抜け、残ったコークスは燃焼時の発熱量が高くなり、鉄鉱石を溶かすことができたのです。

彼のあとを継いだ同名の息子ダービー二世(一七一一~六三年)は、一七三五年に完全にコークスだけによる溶融に成功しました。その利用は一七六〇年までにイギリスの各地で一般化され、一七三〇年から一七六〇年にかけて、鉄の使用量は五〇%ほど増大しました。

製銑工程の生産能率が上がると、今度はそれに応じた精錬工程の革新が要請されました。この要請に応えたのがヘンリー・コート(一七四〇~一八〇〇年)で、一七八四年に発明した反射炉によるパドル(攪乱)法でした。この方法は、炉内を流れる空気の脱炭作用を利用して、銑鉄が鍛鉄になるまで(とけている炭素分が減少します)、これを人力でかきまわす方法でした。

コートはまた、熱い鉄塊を直ちに溝型ロールによって圧延する方法も発明し(一七八三年)、その動力には蒸気機関を導入しました。パドル法と圧延法を結合することによって、製鉄工程が単純化され、効率が高まりました。

このコートの発明以後、イギリスの製鉄業は急速に発達し、今までかなりの量の(れん)(てつ)をスウェーデンやロシアからの輸入に依存していましたが、イギリスは一九世紀の初頭からは、鉄の輸出国に転じました。銑鉄生産高は一七七〇年代には四〇〇〇トン、一八二〇年代には三三万トンとなり、四〇年代には一三〇万トンを超えました。