唯一の答えは「グローバル・サンシャイン計画」

《一》やっと、太陽光エネルギーの時代がやってきた

通産省は「サンシャイン計画」で民間企業をバックアップ

一九八〇年代初頭にアメリカのソーラー開発計画が大幅に縮小されたあとも、太陽電池の開発を続けていた国がありました。

日本でした。

第一次石油危機が起こった一九七三年、いち早く通産省工業技術院は太陽光発電など新エネルギー技術の開発「サンシャイン計画」を発足させました。

一九七四年七月に制定された基本計画によりますと、二〇〇〇年までに太陽光発電などの新エネルギー技術を研究開発することによって、エネルギー需要の相当部分をクリーンエネルギーで供給することを目標にしていました。

しかし、一九八〇年代には石油価格が低落し、世界的に石油代替エネルギー、新エネルギー開発の熱が薄れてしまい、開発予算も縮小されました。

日本も例外ではありませんでした。

本命の住宅用の太陽光発電システムを実現させるには大幅なコスト低減をはかる研究開発が必要で多くの歳月がかかりますが、その間、企業は前述のような製品を出すことによって食いつなぐことが必要でした。

サンシャイン計画に基づく国の助成制度もありましたが、それは研究費の一部にしかなりませんでした。

一九七六年にシャープが太陽電池を搭載した電卓を製品化しました。

その後、太陽電池搭載の腕時計、携帯電話や充電キット、非常用のラジオ、太陽光充電式LEDライト、太陽電池で動くおもちゃやディスプレイ製品など、太陽電池の薄型化と高性能化に伴って、さまざまな製品が開発されていきました。

僻地などの灯台は早くから実用化されたと述べましたが、このような無人の太陽光発電システムの利便性と省電力性をさらに高めたのが発光ダイオードLEDの進歩でした。

LEDは太陽電池の逆で、電気から光を発するもので一九六二年にアメリカのニック・ホロニアックにより発明されました。

発明当時は赤色の光だけでしたが、そのうち黄色が発明され、一九九〇年代初め、赤㟢勇、天野浩、中村修二らによって、窒化ガリウムによる青色LEDの半導体が発明されました。

これによって、赤、黄、青の三色がそろいどんな色でも出せるようになりました。

この発明によって日本人の三人は二〇一四年、ノーベル物理学賞を受賞しました。

少ない電力で光を放つLEDの進歩は、太陽電池の活躍の場をいっそう広げる推進力となりました。

標識やガードレール、道路鋲びょう、縁石鋲、障害物表示灯、避難場所発光サイン、送電鉄塔における航空障害灯、携帯電話などの通信機器の中継施設など、地味ですがすでにあらゆるところに使われるようになりました。

いずれにしても、日本企業は、化石エネルギーが安くなって太陽光発電開発に逆風が吹いた一九八〇年代も、いろいろなニーズを掘り起こして太陽光発電の夢をつなぎとめていました。