第二の人生 結婚 子育て

大阪市北区に、転居先を探し、最終的に落ち着いたのは、JR環状線の天満駅まで歩いて八分の、駅前の繁華街から少し離れた場所だった。

借りた部屋は、仕事部屋が一部屋とれる三DKのマンションだった。

目の前に環状線が走っているし、近くに桜ノ宮のホテル街はあるし、子育てに向いているとはとても言えない場所だったが、夫の健康のために、仕事相手が通いやすい場所で、仕事場と住居を一緒にすることにした。

家族が増え、仕事量が増えていったら、別室を追加で借りて、仕事場と住まいを分けることにするつもりだったが、当面はこの態勢でやっていくことにしたのだ。

住み始めて、自宅周辺の環境が興味深かった。

環状線の天満駅は、東洋一長いと言われる天満の商店街のほぼ中央に位置し、買い物が楽しめる街だった。天満の卸売市場も近くにあり、その頃は仲買人以外の一般の買い物客も受け入れていたので、安くて新鮮な野菜や魚が手に入り、活気のある会話が楽しい市場だった。

もう少し南に下ると天神祭で有名な大阪天満宮があった。

冬は境内に梅の花が咲き、夏真っ盛りの日には、天神祭が開かれた。

商店街には、大小様々のお神輿が繰り出し、アーケード一杯に、わっしょい、わっしょい、賑やかな掛け声が掛かり、鉦や太鼓のお囃子の音に、否が応でも心が躍った。

浴衣に赤い襷をかけ、ねじり鉢巻きで、お神輿を担ぐ人達や、傘踊りをして商店街を練り歩く人達の熱気に気押されて、大阪はエネルギッシュな街だと感じさせられた。

天神祭は船渡御のある祭りで、夜には提灯の明かりを川面に映して、お囃子で賑やかな船が何隻も、神輿を乗せて、家の近くの大川を上り下りし、その川岸では花火がたくさん打ち上げられた。

川の両岸には大規模な夜店が並び、露店の明かりがどこまでも続いているようだった。毎年七月になると、お祭りの小さな櫓が天満の駅前に設営されて、小気味よいリズムのお囃子の練習が始まる。

買い物途中などで、その音色を聞きつけると、わくわくしてきて、それからは毎年天神祭を楽しみにするようになった。

私もすっかり浪速っ子になったようだ。

大阪に転居してから、二年おきに二人目、三人目の子供が生まれ、子育てには不向きな場所だと思いながら、繁華街の近くで三人の子供を育てた。

大阪での生活の中で、忘れられないのは、子供達それぞれの小さい姿だが、女の子は、同性のせいか行動は想像がつき、大胆でもなく、振り回されたとか困らされたとかいう実感はあまりなかった。

ところが、男の子は想定外の行動が多くて、驚かされたことが多かった。その都度意外性があって印象に残っている。

長女は背の高い夫に似たのか、小さい時から上背があり、体が大きい分、周囲からはしっかりした子と見られがちだった。ところが、本人は至って気の小さい、泣き虫だった。

外で、母親の姿が一瞬でも見えなくなると、

「お母さん、どこ? お母さん」

と泣き出した。その点は、弟が生まれ、妹が生まれても変わらなかった。

こんな子が幼稚園に行けるのかと随分心配した。それでも幼稚園入園の年が来て、何度も言って聞かせると、聞き分けのいい子でいようとする娘は、口では、

「わかった。泣かないで行く」

と言った。

入園式の当日は、幼稚園では、母親と一緒に移動できるようにしていたので、泣かないですんだが、翌日の朝、目が覚めたとたん、今日こそは母親のいない幼稚園を想像したらしく、

「今日も幼稚園に行かなあかんの?」

そう言ってしくしく泣きだした。

近所の仲良しの子が誘いに来てくれて、それぞれ母親と一緒に歩いて幼稚園まで行ったが、角を曲がると突き当りが幼稚園という場所にまで来ると、オイオイと泣き出した。