第二の人生 結婚 子育て

英会話の学校は夜の七時半から始まった。週に二日、家族と夕飯を終えたら、

「ごちそうさまでした」

と手を合わせて、そのまま、

「行ってきます」

と家を飛び出し、自転車で走って、始業ギリギリの教室に滑り込んだ。

定期的に試験があり、英文暗誦も義務付けられたが、久しぶりに学ぶことが楽しくて仕方がなかった。そのクラスには、大阪大学の医学部の学生や、京都大学の薬学部の女子学生、大手商社の社員や、ホテルマンなど、約二十名が在籍していて、知的レベルの高い集団だった。

話題がほとんど子供のことだけのママ友達とは違い、異業種の友達がたくさんできたことも新鮮で楽しかった。家では、ダイニングのテーブルで、英文を読んだり、書いたり、覚えたりした。傍らで子供たちが宿題などをしていた。

解らないことを聞いてきたときは、時を移さず、答えてやることにしていたが、その他のことは、

「お母さんの勉強が済んでから」

と言って、後回しにした。

学ぶことがあんなに真剣で、楽しかったのは、高校時代にはなかったことだった。

授業の一環として、校内のスピーチコンテストの参加が必須だった。全国規模の学校だったので、年に一度、各クラスで一人ずつ代表を選出して、地方大会、全国大会と進んでいくようなコンテスト形式のイベントを開催していた。

できすぎの話なのだが、スピーチコンテストでは、クラス代表に選ばれた。その上、地方大会でも残り、全国大会に出ることになった。

全国大会が開かれた当日、三人の子供たちを連れて会場へ行った。

子供達の前で壇上に上がるのは気恥ずかしいことだったので、やめようかと思ったが、いい年をしても恥をさらけ出して、学んでいる自分の姿を見せるいい機会だと思って連れて行った。

会場に着いたら、『ホノルル市長杯争奪スピーチコンテスト』と大きく書かれた看板が出ていた。一等賞品はハワイ旅行だった。

子供達を席に座らせて、自分の順番を待った。大阪地区代表と呼ばれて登壇したら、子供達のそれぞれ心配そうな、不安そうな六つの目が、こちらをじっと見上げていた。

子供のことが気にかかったお陰で、アガリもしないで、二分くらいのスピーチを終えたような気がする。『国際人とはどんな人のことですか?』というのが共通テーマだったと記憶している。

間もなく、コンテストは終了し、結果発表があった。何の間違いかと思ったが、二位の入賞者として名前を呼ばれた。壇上でトロフィーを受け取ったら、子供達が自分のことのように大喜びをしている様子が視野に入った。

子供達にとって、『努力は報いられる』という教訓になったらいいと思った。

二等の賞品はグアム旅行だった。英語の勉強を再開したおまけで、グアム旅行をした。

結局、約四年間その学校に通った。その後、現実に就職の必要に迫られて、入社試験を受けることになり、結果的に、四十代後半にフルタイムの仕事に就くことができたのだ。

中年で専門性の高い職業に就いたため、入社してからは大変だったが、とにかく自分の翼で飛び立てた歓びは例えようもなく大きかった。

あの時思い立って勉強を再開しておいてよかったとつくづく思ったものだ。