入園当時は泣く子がたくさんいるので、幼稚園側も門のところまでたくさんの先生が迎えに出ていて、泣く子は一人一人ゴボー抜きで、宥められつつ建物の中に連れて行かれた。

昼頃迎えに行くと、私の姿を見て、これ以上ないようなご機嫌の笑顔で、手を振っていた。

その日も午後からは、兄弟や友達と遊んでいたが、夕方になると、

「明日も幼稚園に行かなあかんの?」

と又、しくしく泣きだした。

それからは毎日、このパターンの繰り返しで、三年保育の一年目は泣いて過ごした。

今から思えばそんなに嫌なら年少はやめさせてもよかったのかもしれないと思うが、当時は、新米の親としては、『よその子ができることなのだから、この子もできるようにしなければ』と思い込んでいたのだろう。親が未熟だったと思う。

泣いて過ごした一年目が終わり、二年目になって、急に本人の意識が変わった。泣くことはすっかりなくなった。

時期が来ればこうなるのだと、一人ひとりの個性に沿って対応すべきなのだと、子供に教えられたようだった。

ところが、末っ子は同じ女の子でも長女とは全く違うタイプの子供だった。年齢が四歳違うので感じ方が違うのかも、しれないが、親がいなくても、泣くことはなかった。

ある日、次女が言うことを聞かずに、駄々を捏ねていたとき、今なら親の虐待だと言われるかもしれないが、

「よく考えなさい」

と叱って、マンションの自室の玄関から廊下に出したことがある。

上の子たちだったら、出された瞬間に、

「ごめんなさい。もうしないから、堪忍して」

と泣き出したものだが、この子の場合は、黙って廊下に出て行き、扉を閉めたら表はシーンとしていて、泣き声もなければ物音一つしなかった。

その音のなさに親の方が不安になり、そっと扉の向こうを覗いてみた。すると、扉の向こうに、次女はいなかった。

娘は外に出された途端に、その場にじっとしていることは考えず、どこか行き先を考えたようだった。叱られたとも感じていないのか、けろっとした顔で、同じマンションの住人である友人の懐に逃げ込んでいたのだ。

「おばちゃん、お母さんにあやまってちょうだいっていうのよ。この子」

友人が笑ってそう言った。

親の勢いだけが空回りしていたような出来事だった。

子供は一人ずつ性格が違うので、他の子の子育ては経験が生きない仕事かもしれないと感じさせられた。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『乙女椿の咲くころ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。