第一章 伊都国と日向神話

1.ユダヤ系秦氏と『旧約聖書』

〇比較の第二段階………ユダヤ側と同じく、出雲+日向神話を導入して全15世代にする

写真を拡大 [比較の第二段階]………ユダヤ側と同じく、出雲+日向神話を導入して全15世代にする

上記の③同士を兄弟にしたことで、出雲神話と日向神話も一続きのお話になった。『古事記』の該当部分である。
この御子(②オシホミミのこと:筆者注)は、高木(の)神の女(むすめ)、萬幡豊秋津師比賣(よろづはたとよあきづしひめの)命に御(みあひ)して、生みませる子、天明(あめのほあかりの)命。次に日子番能邇邇藝(ひこほのににぎの)命 二柱なり。

説明
・ユダヤ側の15世代に合わせて、当初は出雲神話から①②③とした


・後世の持統女帝の皇位継承都合に合わせ、日向神話の①②③に変更


・女帝から皇孫への皇位継承を正当化するため、アマテラスを女神とした


・この神話変更によって、持統女帝から皇孫文武への継承が正当化された


・血統も正当化するため、布留(ふる)[ニギハヤヒ=天火明(あめのほあかり)]とニニギを兄弟とした


・崇神と同時代人の布留(ニギハヤヒ)を系図③に置いてニニギの兄としたため、崇神ではなく建御雷(たけみかづち)が天孫軍を率いた(崇神は⑮世代のまま)


・天孫として降臨したニニギは、その母の名に多くの情報を含んでいる

萬=多くの
幡=秦氏(が住む)
豊=豊国(秦王国。宇佐神宮の大分県や福岡県東部京都郡など)
秋津=大和
師=〜の

全体の意味は、「多くの秦氏が住む豊国と大和の(姫)」である

〇比較の第三段階………持統女帝の都合に加え、ユダヤ系秦氏自らの都合を加味させた

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説明


・ユダヤ系の渡来は、応神朝の「弓月君」が最初ではない


・出雲国にもユダヤ系秦氏。さらに出雲そのものがユダヤ系首長の国であった


・豊国(のちの豊前・豊後)も、「秦王国」であった


・出雲は邪馬台国の大和盆地にも進出。ユダヤ系豪族に混じるユダヤ系秦氏


・大和盆地の政治体制は古代共和制であり、最初に共立されたのが神武


・その神倭伊波禮毘古(かむやまといはれびこの)命(諡は神武)を、「ハツクニシラススメラミコト=初めて国を治められた天皇」として⑥に置いた。神武を秦氏が支持。后は秦氏出身・その和風諡号(=かむやまといはれびこ)の意味は、「神ヤハウェに選ばれたといわれる男」である


・天孫降臨(崇神の大和平定)のまえに大和に入部していた神武が、大和盆地におけるハツクニシラススメラミコト[始馭天下之天皇(ハツクニシラススメラミコト)]となった


・欠史八代は大和盆地南部に宮居を構え、その周辺のユダヤ系女性を后(きさき)にした


・騎馬民族の首長崇神(ミマキイリヒコ)が半島の任那(みまな)から渡来し、国譲り戦を戦い、それまでの覇者出雲を駆逐し、倭国における覇者となった=ハツクニシラススメラミコト[(御肇国天皇(ハツクニシラススメラミコト)]


・結果として、二人のハツクニシラススメラミコトが系図上に載ることになった


・欠史八代を含む秦氏が関係した系図は、開化のところで一転し、崇神からの新しい系図が開始する


・カイカ(開化)という諡号には、「新しい系図に入る」という意味がある。半島から渡来してきた騎馬民族首長である崇神の系図が、新規に始まっていく


・二人のハツクニシラススメラミコトの解釈は、一人目の神武は秦氏が関与する


奈良盆地の首長レベルであったが、二人目の崇神は、出雲との国譲り戦によって倭国に覇を唱え、「天皇」の称号に相応しい大王であった


・ミマキイリヒコ[任那(みまな)の城(き)から渡来]の崇神は、神話系図上は開化の子となっている。秦氏系と騎馬民族系を一つにするための工夫と思われる
 

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『ユダヤ系秦氏が語る邪馬台国』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。