第一章 大仲家のルーツ

2 私と弟妹のこと
 

出生と名前の由来
 

私は、父に “良一” と名づけられました。命名の由来は、祖父の名前の “矢一” と父の名前の “良佳” を一字ずつ取って、“良一” としたというふうに聞いています。

昭和一〇(一九三五)年三月五日に生まれ、千支は “亥” 。

両親の第一子であり、七人兄妹の長男です。第二子が弟で、その下は妹たちとなります。

幼い頃の私
 

幼い頃の私は極めてヤンチャ坊主で、国民学校入学前から手に負えず、「仲門(私の生家)の前は、妊婦が通れない」とまで言われるほどの、評判の悪い悪童でした。

というのも、家の門の前を通る人たちに石を投げ、棒で追いかけて乱暴するといった、札付きのヤンチャ坊主だったようです。父も母も、私のそのような性格を直したいと思ってか、前述のような教えを常々言い聞かせていたのではなかろうかと思います。

やがて学齢期となり、まず沖縄県の兼城国民学校に入学しました。戦争末期に熊本に疎開して、疎開先の網津国民学校の二年生に編入になります。さらに満州から熊本に父が戻ってきて一緒に住むことになったときは、錦野国民学校の四年生に編入されました。

日頃は健康そのものの子供でしたが、大怪我が一つあります。それは熊本県の疎開先での出来事です。

網津国民学校の三年生の頃のことでした。下校時に友人たち数人で歩いていたときに、後方からオート三輪車が我々を抜き去りました。

その荷台に乗って帰ろうと誰が言ったわけでもなかったのですが、以心伝心で伝わったのです。皆が一目散に走り出し、脚が速かった私はその荷台に追いつき車に乗り移ることができました。

ふと後方を見ると、友人たちははるか後方に立っているではありませんか。友人たちの姿を見て心配になった私は、走行中の車から飛び降りてしまいました。

何の構えもなく、あわてて飛び降りたものですから、受身も上手くできず頭部を強打してしまいました。意識障害の状態で、村唯一の診察所に運ばれたそうです。丸一日、意識不明の状態であったということです。

戦争から逃れて熊本まで疎開してきたのに、我が子を失うのではないかと、母は大変悲しんだそうです。

学童の頃は本当にやんちゃな悪い子供でした。

 
※本記事は、2020年3月刊行の書籍『 ひたすら病める人びとのために 下巻』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。