第一章 大仲家のルーツ

1 父と母のこと


大仲家


我が家の宗教は、仏教であることまでは分かっていますが、宗派は不明で特定の菩提寺もありません。
沖縄には、幾つもの寺院があるものの檀家制度は見られず、多くの家庭はいわゆる先祖崇拝で仏壇を備え、従来、旧暦で宗教行事を行ってきました。


幾代も続く共同墓に、親族協同で葬祭を行ってきていましたが、時代の変遷とともに、近年では新歴で諸々の行事を行うようになっています。


父のことに触れる前に、系図的なことに触れておきます。伝え聞くところによると、大仲家の七代目が私で、先祖の家柄は村落地域の先進的な存在だったようです。父方の祖父は村長を務めていましたし、母方の祖父は学校長を務めるなど、父母双方の家系からリーダー的な存在となる人物を輩出したようでもあります。

 


父のこと


父の名前は良佳といい、大正二年七月三日に生まれました。晩年はまさに他界した前日まで大きな病もなく、生業であった獣医師の職務で連日多忙を極めていました。たまたまアメリカに移住している従弟妹たちが数十年ぶりに故郷を訪ねてくるということで、歓迎会を開くことにしました。


準備万端整ってひと段落し、久方ぶりに親子水入らずで酒を酌み交わした翌日(平成四年四月二二日)、あっけなく天国へと旅立ちました。


父は五人姉弟の二番目だったのですが、男は父一人でした。ちなみに私は七人兄妹で男は私と弟のみ、さらに、私の子供も男一人で女三人ですから、我が家系は先祖から女系家族のようです。


父は、当時まだ数少ない獣医師の資格を持っておりましたので、牛馬の疾病治療および予防に専念していました。その後、従軍し騎兵隊に属し、満州、北支でその獣医師としての手腕を発揮していたようです。


幸運にも敗戦の三カ月前に北支から私たちの疎開先であった熊本に転勤になり、除隊後はそのまま熊本で暮らしてから家族そろって沖縄に帰郷しました。過酷な沖縄戦の影響で家畜が全くいない状態でしたから、米国から支援を受けて豚や馬の移入をしました。


ようやく本来の職能を発揮することができたようです。ただ、米国の広い荒野から送られてきたため、馬の調教には大変な苦労があったと聞いています。


私の熊本での国民学校三年間と、沖縄に帰郷後の中学高校の数年間は父とともに過ごしていましたが、敗戦後の復興に明け暮れ、親子ともにゆっくり過ごす機会は少なく、私が高校三年生時に上京したため、感じやすい思春期に心理面でゆっくりと接する機会はあまりありませんでした。


無口ではあったものの、家族を含めて他者へも心優しい父親でした。私が帰郷後も互いに多忙を極めていたため、存分に親孝行ができなかったのは残念至極です。


父は青壮年期から晩年にかけては、終戦後の沖縄の復興、特に畜産関係を中心に多忙を極めていました。その後子供七人の教育、学業のために寸暇を惜しんで働かざるを得ない環境下にあったことから、私は、父が自身の趣味を構築する余裕もなかったものと推測しています。


きっと、余裕があれば、何か趣味を持ったのではないかと思われますが、当時の状況を振り返ると、私は父のために何かしてあげられなかったのかと今も心残りです。


ただ、最後まで信念を全うした一生であったと、この素晴らしい父親を私は誇りに思っています。

 
※本記事は、2020年3月刊行の書籍『 ひたすら病める人びとのために 下巻』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。