第一章 大仲家のルーツ

1 父と母のこと


母のこと

母の名前は静(しず)といい、大正三年六月十日、父の隣り部落である座(ざ)は 波で誕生しました。兼城(かねぐすく)尋常小学校卒業後、首里の女子工芸学校に進学しています。

父と対照的な性格で、常に喜怒哀楽を表に出す明るい性格でした。すべてにわたって積極的で、新しいことにチャレンジしていました。

子供たちの養育のためにと、父と相談して糸満高校前にあった新居を改装し、生徒向けの学用品の販売や軽食・飲料水の販売もしていました。同時に、来店する生徒たちに礼儀作法の指導までする厳しい一面を備えた母親でした。

時には、父たちとともにサトウキビの収穫にも馳せ参じるといったように、多忙な生涯といえるでしょう。

大仲家はこのような父と母を見て育ったせいか、子供たちも一様に忙しいことが好きなようです。私の子供たちも忙しく日々を送っています。

母は、女子工芸学校で身につけた趣味のおかげで、戦時中の疎開先でその腕をいかんなく発揮していました。機(はた)織りの仕事はその最たるもので、さらに刺繍などの特技を活かして地域の方々にも大いに感謝され、他の疎開家族に比べて恵まれた生活だったように思われます。

父も母も、常に自分本位ではなく相手の立場に立って物事を判断し、相和(あいわ)してコミュニケーションを重視する生活を私に説いて聞かせていました。

私が大学受験のために上京する数日前のことです。

とても風の強い朝でした。早朝に起こされ庭先に呼び出された私に、

良一、あの木々の間から一際伸びている孟宗竹(もうそうちく)の先をしっかり見てごらん

と指を差し、

「竹が左右に激しく揺れている光景をしっかり見ておきなさい」

と言いました。

これから私が上京し、大学で懸命に勉学に励み一人前になれば、世間の人々から尊敬される反面、一方で批判を受けることもある。上位に立つほど深い思いやりが必要になる、ということの戒めともとれる教訓を説いてくれたことが、いまだに脳裏に深く刻み込まれています。

 
※本記事は、2020年3月刊行の書籍『 ひたすら病める人びとのために 下巻』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。