その情報源や信憑性に関わりなく、秩父宮殿下がお微行で御台臨されるという話には深く頷くところがあった。

その一つは、チャップリンが今回の世界一周旅行の最初の訪問国イギリスで、ウェールズ皇太子と親しく歓談したことが日本の新聞にも報じられており、それに倣って日本が国際協調を重視していることをすこしでも世界にアピールしようと、秩父宮殿下に御台臨を仰いだとしても不思議ではないからであった。

が、それより何より、田島は、秩父宮殿下がそうした催しにも気さくに自ら望んで出向かれる闊達(かったつ)で、幅広い趣味をもつ感性ゆたかな性分であることを、その趣味の一つでもある登山を通してよく知っていた。

秩父宮殿下が登山の愛好家であることは世間にも広く知られていることだつたが、その登山には秩父宮殿下の陸士在学時代の同期生で、「ご学友」の一人であった歩一の山内大尉も随行員の一人としてお供していた。

そして昭和三年、秩父宮殿下が、はじめて勢津子妃殿下同伴で北アルプスに登山した時には、田島も山内大尉の推輓(すいばん)で随行員の一人に加えられていたのであったが、上高地の山小屋で休憩した際のことだった。

その時すでに北アルプスの伝説的な名物ガイドで、上高地の山小屋の主だった、通称「上高地の常(つね)さ」が、勢津子妃殿下をあろうことか、「おかみさん」と呼んで、随行していた警察署長や県庁の役人を仰天、恐懼(きょうく)させた。

『不敬罪』は天皇制を護持するための法規で、最高刑は死刑だった。それほどの重罪ではないとはいえ前代未聞の不敬罪で、軽くとも懲役(ちょうえき)は免れなかった。

田島も、この世情に疎い純朴な山男「常さ」の身を案じた、が、「常さは、おかみさんでよろしい」という、世情にも明るい秩父宮殿下の笑顔の一言で事なきを得、だれもが額に滲んだ汗を拭い、胸をなでおろしたのだった。

そういった皇室とも思えない破天荒な秩父宮殿下の、庶民的な人情やユーモアを解する一面を目の当たりにしている田島には、殿下がチャップリンの歓迎レセプションに御台臨されるという話も、けっしてありえないことではないと思えた。

であれば、三上や古賀にいわれるまでもなく、十六日の決行は思いもよらぬことだった。が、延期もまた、

「殿下が、チャップリンと親しくご会見される前ならまだしも、その後となると、チャップリンの突然の悲報と、しかも、それが私等の仕業(しわざ)であることを耳にされた殿下のお心は、また、どんなお言葉を発せられるか、それはいうまでもないと思うが、その殿下のご綸言(りんげん)にもひとしい一言一句によっては、事件の処理も、私たちの処分も一夜にして決してしまうといってもいいだろう。

たとえ、かの大津事件で伊藤博文公にも屈しなかった腹の据わった、大審院の児島院長であっても、神聖なるご皇室に対する国民の尊崇(そんすう)の念はもちろん、法規的にも当時よりはるかに厳格になった今の世では、殿下のご意向を寸分たりとも軽んずるようなことはできないだろう。

況や、それに対して国民が口を差し挟む余地はなく、したがって、私等の行動が国家改造運動に発展することも金輪際(こんりんざい)なく、そのうえ、他の同志らに対する締め付けも、これまでの比ではなくなると思うが……どうかな?」

と、田島は黙りこくった三人を見較べた。

「では、きみは、その前にやっつけてしまおうというのか?」

と、三上が挑みかかるように身を乗りだし、座卓に片肘を突いた。

「なるほど、おっしゃる通りですね。私もそこまでは考えてみませんでした。秩父宮殿下の御台臨と聞いて、延期することばかりに頭がいってましたが、そういう、積極進取(せっきょくしんしゅ)の考え方もありますね。

しかし、チャップリンの来日が十四日で、士侯等が帰校するのも十四日ですから、決行は最初の計画通り、翌十五日の、日曜日の一日だけと限られてしまいますが、そうなると、秕政の元凶を一網打尽というのも、ちょっと、いえ、相当難しくなりますね」

と、中村も同じように身を乗りだした。が、古賀は冷静だった。

「私も、田島中尉殿のおっしゃることは、ご尤(もっと)もだと思います。それにチャップリンが、今この願ってもない時機に来日することが天意なら、そのレセプションに秩父宮殿下が御台臨されるというのも、また天意といわなければなりません。

だとすれば、決行を一日繰り上げることも、私たちに下された天命です。また図らずも、それが十五日と、日時も限定されたこと自体、いまだ小田原評定に明け暮れている我等を叱咤激励する天の配剤というべきで、ここは乾坤一擲、万難を排して決行すべきだと思います。

しかしまた、中村のいう通り、あらためて犬養首相はじめ政財界の要人等の、その日の所在(しょざい)を突きとめることは、時間的にも、また物理的にも至難の業、いえ、不可能といってもいいかと思います。

況や、いまだ日本に来ていないチャップリンにおいてをやです。かといつて、如何に天の賜物とはいえ、禁断の果実を食べることはできませんし、田島中尉殿のご意向を軽視するわけではありませんが、今は何より政党政治の打倒が喫緊の課題ですし、誠に残念ではありますが、この際、チャップリンの方は断念せざるをえないと思いますが、いかがでしょうか?」

その問いには、田島を差し置いて三上が答えた。

「なあに今次(こんじ)決起は、もとはといえば十五日決行の計画だったものであり、それはまた国家改造の大眼目を一気呵成(いっきかせい)に成就するために非ずして、いまだ小田原評定に明け暮れている我等陸海軍の同志ならびに、偸安(とうあん)を貪(むさぼ)る国民を、一大衝撃をもって覚醒せしめ、『決河(けっか)の大勢をなさん』がためであり、チャップリンの方は断念しても、その所期(しょき)の目的が果たせないというわけではないからな。

それに、『小利を見れば則ち大事成らず』というし、古賀くんのいう通り、軟弱外交を革(あらた)むるより、まずは国家改造だからな。まあ、それが妥当なところだろう」

それは自らを奮(ふる)い立たせているかのような、いささか大時代的な口調だった。

「そうですね。臨機応変も作戦の要諦ですし、大隈侯爵も、『彼方に泳がんとして此方に流され、北へ向かわんとして南に却(しりぞ)き、遂には意外の方向に於いて彼岸に達するが如し』と述べていますからね……そうですよね、田島さん」

と中村は、迷いを払拭したように笑顔で田島を見た。が、田島の顔は晴れなかった。その時、天ぷら蕎麦が来た。

「おうっ、来た来た。それでは、そういう浮いた話のつづきは、また後のお楽しみということにして、まずは腹ごしらえをするとするか。ひもじさを、眠気と色気を比ぶれば、恥ずかしながらひもじさが先』というからな」

「三上さん、それは、寒さと恋を比ぶればじゃないんですか」

と、中村。

「いや。これは、食欲と性欲と睡眠を比較した戯れ歌だからこれでいいんだ」

「はあ、それは誰の説ですか?」

「ああ、それは、何を隠そう、我輩の説だ……むむん! この匂い、五臓六腑(ごぞうろっぷ)にしみわたるなあ」

と、三上がその丼を手に、一人はしゃぎまくった。豪放磊落(ごうほうらいらく)、彼ならではの腹芸といってもよかったが、その湯気が噴出するように立ち昇っている熱いやつを、イの一番に平らげたのも三上だった。つづいて古賀と中村が丼と箸をおき、すこし遅れて、田島もおもむろに箸をおいた。

すかさず三上が、田島を見て

「どうだ、早メシにかけては海軍のほうが一枚上手だろう。いったん海へ出たら、いつ時化(しけ)にでっくわすともかぎらんからな。これも訓練のたまものだ……で、何かいい知恵はでたかな?」

と、探るような目つきでいって、笑った。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『泣いてチャップリン』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。