灯りが消えた酒屋の斜向かいの、《八百春》の看板を掲げた間口三間ほどの店前に、軒下を覆い隠すように拡げて立てかけてある葦(よしず)簾の陰から、

「十月事件以後厳しくなったとは聞いていたが、いやはや、田島くんまでが これほど厳しくマークされているとは思わなかったな」

と、あたり憚らぬ声で淀橋の彼方に遠ざかっていく円タクを見送りながら現れたのは、今は広島の呉(くれ)に停泊中の軍艦《妙高(みょうこう)》の、海軍陸戦隊の三上卓(みかみたく)中尉だった。

その左手には、先刻斜向かいの酒屋で買った裸の一升瓶が握られていた。

「だから陸の同志に付き合っているわけにはいかないんです。グズグズしていたら我々も身動きがとれなくなってしまいますからね」

と、つづいて姿を見せたのは、やはり海軍の霞ヶ浦航空隊の古賀清志(こがせいし)中尉だった。次いで、同じく霞ヶ浦航空隊の中村義雄(よしお)中尉が出てきた。

「ここにもグズグズしてないほうがいいんじゃないですか。連中が、また戻ってこないともかぎりませんし、こういう情況では、田島さんの家で腰を据えて、また一から計画を練り直すこともできませんからね。何はともあれ、場所を変えたほうがよさそうだから、とりあえず、田島さんを呼び出してきます」

と、はやくも通りを渡りはじめた。古賀も三上もそれを止めなかった。

三人とも濃淡は多少異なるものの、いま流行(はやり)のブルー系の背広でグレーのソフトを目深にかぶり、丸の内か大手町のオフィス街にでも勤める、これもまた近代化を象徴する、いわゆる「花のサラリーマン」といったモダンなスタイルだった。

「それにしても間一髪、あぶないところだったなあ……これぞまさしく天佑。この一升は、徒(あだ)やおろそかに飲むことはできんな」

と、三上は手にしている裸の一升瓶を目高にかかげて笑った。

賜暇(しか)(休暇)をとって上京した三上と、古賀と中村の三人は上野駅で落ち合い、円タクを飛ばしてまっすぐここへ来たのであるが、その時はすでに、通りの商店は軒並み閉まっていた。

それでも、ただ一軒、その酒屋だけは、カーテンは引かれていたものの、店内の灯りは点っていた。三上が、それを見てニヤリと笑い、言い訳するようにいった。

「手土産に一本買ってくるか。親しき仲にも礼儀ありというからな」

と、言い訳するようにいって、古賀と中村を路地の入口に待たせ、一人でその酒屋へ入っていった。

が、誰ぞ知らん、そこに二人の先客がいたのだった。

軍艦の乗組員である三上は、当然のことながら洋上に出ているほうが多く、東京での同志の集まりに出席することはきわめて稀だったうえに、満州事変に次いで勃発した「上海事変」に出征し、先月、帰還したばかりだった。
したがって、その先客二人の顔を見るのもはじめてだった。

それでも三上は 二人がチラと向けた眼光に何かピンとくるものがあり、壁際の陳列棚に並んでいる一升瓶の、色とりどりのラベルを見比べながら、二人と店主のやりとりに耳をすまし、その素性を察したというわけだった。

にしてもその二人、谷口軍曹と桜木伍長にとってはよくよくツキに見放された日だった。が、知らぬが仏……二人にとっては、それと気づかなかったのはまだしもだった。

田島は帰宅した時のままの軍服姿で、中村に伴われてきた。

「いやいや、由々しき一大事が出来したんだ。それで吾輩も、古賀くんから一報をもらって急遽上京した次第だが、ついさっきまで特高らしき二人が、きみの家をマークしてたからな。場所を変えたほうがよさそうだから呼び出したんだが、何処か落ちついて話のできるようなところはないかな?」

と、年令も田島と同じ二十八歳の三上が挨拶ぬきでいった。

由々しき一大事はともあれ、ついさっき歩一へ顔を出して、山内大尉や栗原少尉を驚かせてきたばかりだったが、今度は自分が同じように驚かされたことに田島は苦笑した。

「いやいや、笑っている場合ではないんだ。正真正銘の一大事なんだ」

と、三上は目を剝いた。

「ああ、分かってる……それじゃ、ちょっと分不相応な処だが、それに馴染(なじみ)というわけでもないから、突然行っても空いている座敷があるかどうか分からないが、何があったのか知らないが緊急事態のようだから、とりあえず行ってみるか」

と、田島は笑顔のまま応え、中野坂上の方からやってくる円タクに手を上げた。

十分後。四人は、新宿御苑の裏にある柴垣を廻らした数寄屋造りの、一見高級料亭とも見える蕎麦屋の奥座敷で、紫檀の座卓を囲んでいた。

田島も、陸士の校長や監事のお供で二、三度来たことあるだけで、いってみれば一見(いちげん)の客にひとしかったが、それでも女将は、

「何れは帝国陸軍を背負って立つ田島さんを、徒(あだ)やおろそかにできませんからね」

と、自らその床の間つきの奥座敷に案内してくれたのだった。

「むん、さすがに東京の蕎麦屋はちがうなあ」

と、真っ先に座敷にはいった三上が、なんら躊躇(ためら)うことなく床の間を背に、どかっと胡坐をかいた。

それで自ずとそれぞれの席も決まり、マントとサーベルを女将に預けた田島は、三上と向かい合い、三歳下で共に二十五歳の古賀と中村は、その右と左に腰を下ろした。田島は、みんなの同意をえて天ぷら蕎麦を四つ注文した。女将が笑顔をのこして消えると、三上が待ってましたとばかりに切り出した。

「いや、ほかでもないが、十六日の決行は残念ながら延期の已むなきに至りそうだ。
いや、至りそうだではなく、延期せねばならなくなったというべきだが、詳しいことは、古賀くんから直接聞いたほうがいいだろう」

古賀は、自分に向けられた田島の真剣な顔をまっすぐ見返しながらいった。

「実は、これは大川博士から聞いた話ですが、十六日の例のレセプションには、秩父宮殿下が、お微行(おしのび)で御台臨(ごたいりん)されるという話があるということです。

お微行ですので、真偽のほどは当日になってみないと分かりませんが、たとえ万に一つにしろ、そんな話がある以上、十六日の決行は延期せざるをえないのではないかと。それで一日でも早く善後策を講じなければと思い、日を繰り上げてお訪ねした次第です」

その大川周明(しゅうめい)というのは、若い頃にはドイツ語の翻訳家として参謀本部に出入りしていた関係で、いまでは荒木陸相をはじめ、多くの軍人や政治家とも親交があり、軍や政財界のウラで暗躍する黒子的存在になっていた。

またその傍ら、吉田松陰の「松下村(しょうかそん)塾」に倣って、私塾「行地(こうち)社」を主宰し、若者たちの育成に努めていたが、そこには古賀をはじめ海軍の青年将校も数多(あまた)出入りしていた。

その点では、国家改造に燃える陸軍の青年将校等のカリスマ的な存在と見られている、『日本改造法案大綱』の著者、北一輝に比肩する当代の怪人物で、十月事件にも関与していたなど、田島もその暗躍の一端を耳にしていた。

「ということは、大川氏も今回の私たちの決行を知っているのかな?」

「ええ昨日お会いして、一応お耳に入れておきましたので」

「何故そんなことを?」

「は、それは、大川博士にご迷惑をおかけしないためです。すくなくともその日は、私たちの巻き添えで、あらぬ嫌疑をかけられないためにも、東京を離れて、何処か山奥の温泉にでも行っていただいたほうがいいかと思いましたので。

そしたら大川博士も、さすがに顔色をかえられて、駄目だ、その日は駄目だと、秩父宮殿下が、お微行で御台臨されるかもしれないと教えてくれたんです。

大川博士には、今日か明日にでもお話しするつもりでおりましたが、先方のご都合で昨日お会いしてきました……しかし、これも天の配剤かと、あらためて感銘しました」

と古賀は その時の感銘を嚙みしめているように唇を固く結んだ。

田島は笑顔で頷いた。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『泣いてチャップリン』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。