第1章

赤く濁った陽(ひ)が沈むと、今日もまた五月とは思えない季節はずれの冷たい北風が吹きはじめ、夕闇迫る空の下、塒(ねぐら)へ帰る鳥たちが群れをなして急いでいた。

つい一時間ほど前には、陸軍士官候補生、通称「士候(しこう)」等の中隊教練の号令や銃剣術の鋭い気合が飛び交い、若さと熱気がぶつかり合い、弾けるように沸き返っていた東京市ヶ谷台(いちがやだい)の、新緑に彩られた宮城の外濠を眼下に見下ろす陸軍士官学校、通称「陸士(りくし)」の広大な校庭も、今はしのび寄る黄昏(たそがれ)の底で寒々と静まりかえり、校内の寄宿舎に寝起きし勉学と軍事教練に明け暮れる士候たちは、日々の唯一の愉(たの)しみといってもいい、湯気の立ちのぼる夕食のテーブルを挟んで向かい合い、黙々と箸を動かしていた。

にしても、こころなしかいつもより静かだったのは、予科二学年、本科二学年の全士候のうち、今年七月に卒業する本科第四十四期生のおよそ三百名が、「日露戦争」の激戦地《二〇三高地》や《東鶏冠山》通称「トーケイカン」など、当時世界一の陸軍を誇った超大国ロシアに勝利した歴史的な戦跡や、九月十八日に勃発し、いまだ完全に収束したとはいえない「満州事変(まんしゅうじへん)」の軍事的要所を巡る修学旅行ともいうべき満州旅行に行っているためかもしれなかった。

時に、校庭のはずれの木立に囲まれた厩舎(きゅうしゃ)の方から馬の嘶(いなな)きが聞こえ、上空にはいつしか星々も煌(きらめ)きはじめ、陸士の校舎も暮れなずんだ空を背に厚みをました夕闇の底に没しようとしていた。

ただ正門の左右一対の石造りの門柱頭頂部の、人の頭ほどの球形の門灯だけが、生気を甦らせたように輝きをましはじめていた。

その校舎の正面玄関の車寄せに、一人の青年将校が玄関ホールの灯あかりを背に現れた。

それが青年将校だということは、陸軍の硬式軍帽や長靴(ちょうか)、それと身に纏(まと)ったマントの裾から見え隠れしているサーベルのシルエットで、一目でそれと知れた。

彼は車寄せから正門に通じる大きく弧を描いたスロープを、冬に逆戻りしたような澄んだ星空を見上げながらゆったりとした足取りで下ってきた。

その顔が一歩ごとに門灯に照らしだされた。

本科第四十五期第三中隊・第六区隊区隊長(教官)、村中孝次(むらなかこうじ)中尉だった。

衛兵(えいへい)がバネ仕掛け人形のように軍靴(ぐんか)を踏み鳴らして敬礼した。

一瞬、周囲の空気までがピリッと緊張に震えたかのようだったが、彼は足を止めることもなく形式的にかるく答礼し、今は往来する人も稀(まれ)になった正門前の通りを左に折れ、最寄りの省線市ヶ谷駅の方角へ足を向けた。

そして、砂利道を踏みしめるその靴音が遠ざかるにつれ、そこにはまた時の流れが止まったかのような静寂が返ってきた。

門前に立哨(りっしょう)する衛兵も石像のように動かなかった。

それから四、五分経ってからだった。

正面玄関の車寄せに、先ほどの村中中尉が舞い戻ったのかと思うような、それと瓜二つのシルエットが浮き出た。わずかに異なるところは、右手に黒い刀袋に入れた軍刀らしきものを持っていることぐらいだったが、それは華奢(きゃしゃ)なサーベルの代わりに実戦用の軍刀仕立てにした日本刀で、将校なら、そのプライドの象徴的な意味合いからも、誰もが一振や二振は持っているものだった。

軍帽を目深(まぶか)に被ったその顔が、村中中尉のとき同様、一歩毎に門灯に映しだされた。

本科第四十四期第一中隊・第六区隊区隊長、田島邦明(たじまくにあき)中尉だった。

だがその四十四期生は満州旅行に行っており、本来なら彼も今頃は満州の星空を仰いでいるはずだった。

それがつい一時間ほど前、士候等の姿が校庭から消えるのを待っていたかのように突然一人で帰校して、人目を憚(はばか)るように校庭の隅の木立の陰や、校舎の軒下を拾いながら区隊長室に現れ、週番(当直)勤務の同僚たちを驚かせたのだった。

彼は、やはりバネ仕掛けのような衛兵の敬礼に送られて正門を出ると、村中中尉とは逆に通りを右に折れ、新宿方面へ足を向けた。

通りは市ヶ谷台と呼ばれる台地の裾に沿った、今はその名に江戸の名残を留めている四よつ谷やの「大木戸」を迂回する、昔ながらの甲州(こうしゅう)街道の侘(わび)しい裏道だった。

その大木戸から、男の足なら二十分足らずで、今や、銀座(ぎんざ)、浅草(あさくさ)をも凌ぐ盛り場になった新宿(しんじゅく)の街はずれを通り、さらにその先の省線の通称「大ガード」を潜り抜けると一キロ足らずで、今では西武電車も走っている青梅(おうめ)街道に出ることができた。

また明治維新以降、近代化に置き去りにされていたその裏道沿いにも、九年前の関東大震災からの復興と、遮二無二(しゃにむに)に近代化を急ぐ帝都東京の発展に伴い、最近になって新築された民家もポツリポツリと建ちはじめていたが、右手に見上げる市ヶ谷台の緩やかな傾斜地には、いまだ野生の灌木(かんぼく)や雑草が生い茂り、傾いた藁葺(わらぶき)民家や廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の無残を留めるような荒寺が点在していた。

そのうえ、これもまたごく最近になって設置された街路灯の裸電球の黄ばんだ灯が、ポツリポツリとはるかな間隔で侘しげに点り、真下の砂利道を円くぼんやりと闇に浮かび上がらせていたが、それがまたかえって侘しさを募らせていた。

そんないまだ舗装されていない心寂(うらさみ)しいばかりの通りには、田島中尉の砂利を踏みしめる鈍い靴音だけが、時を刻む時計のように規則正しく響き、時に、街路灯の下にさしかかるとマントの裾から覗いたサーベルの(こじり)が、その黄ばんだ灯をキラリキラリとカミソリの刃のように冷たく撥ね返した。

が、それを咎(とが)める野良犬の声もない人影の途絶えた通りにも、よくよく目を凝らせば、田島中尉の三、四十メートル後方には、まばらに建ち並ぶ家陰づたいに見え隠れする二つの黒い人影があった。それはまた彼が陸士の門を出たときからの「お供」だった。

やがて通りは台地の急斜面にぶつかって逆「く」の字に折れ、左手には、ひび割れ薄汚れた土塀に囲まれた荒寺が建っていた。

またその門扉(もんぴ)も壊れているのか、閉まっていたためしはなかったが、それは今宵も田島中尉の期待を裏切ることはなかった。

彼はその山門の内に横っ飛びにサッと滑り込んだ。

境内には手入れされたこともないような樹木が枝葉を繁らせ、山門前の街路灯の灯も地面にはほとんど届いていなかった。

その足許も見えない暗闇に目がなれる前に、村中中尉の白い笑顔が近づいてきた。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『泣いてチャップリン』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。