「たしかに、拙速かどうかは兎も角、『兵は神速を貴ぶ』というし、また、いかに後ろめたくとも、『小忍ばざれば則(すなわ)ち大謀を乱る』ともいうからな……。ところで、その大謀には、やはり村中くんも一枚嚙んでいるのかな?」

と山内大尉は、すべてを了解したように、ごく日常的な世間話をするような口調で訊いた。

「いえ、ここへ来る前に村中くんだけにはすべて話しましたが、いま申しましたように国家改造の成否は偏(ひとえ)に国民の実行力如何に懸かっておりますので、彼にはその後の国民の反応や、血気盛んな士候等の動向に対処するためにも、今回は自重するよう頼みました。

先陣をとられるのはシャクだが、『百川を障(ささ)えてこれを東(とう)せしめ狂瀾(きょうらん)を既倒(きとう)に廻(めぐ)らす』ためにも、また私の独断専行にも、『安石出(あんせきいで)ずんば民草(たみくさ)(蒼生)を如何せん』というからなと、笑って肩を叩いてくれました。

しかし、私はそれほどの器ではありませんし、今回の目的は、現政権を倒すためだけではなく、先ほど申しました福翁の言葉のように、『全国の人心を根底から転覆して』という、つまり、国民の自覚と実行力に期待すると同時に、『国家昏乱して忠信有り』といいますように、時代の要請に応えて、村中くんがいった、その『王安石(おうあんせき)』のような人物が現れることを期待してのことです……チャップリンには気の毒ですが、それが今回の計画の主眼、すなわち、私の真の狙いです。

マキァベリは、『争乱の地に平和をもたらすには、苛酷のそしりを恐れてはならない』といっていますが、そんなことはマキァベリにいわれるまでもなく、洋の東西を問わず、人間は太古の昔から過酷なことを繰り返していますし、それもまた歴史の必然性といえる、人間の宿命だといっても過言ではないと思います。

しかし、本来平穏な暮らしを願う人間は、国乱れれば、安石出(いず)ることを願うのもまた、歴史の必然性といえるのではないかと思っております」

「むん、歴史の必然性ね……あの『読史余論(どくしよろん)』を書いた新井白石(あらいはくせき)も、徳川幕府の成立を、やはり『歴史的必然性』と説いているが、たしかに、偶然だったともいえないからな。それに、その王安石は、戦国の世を終わらせて二百五十年の泰平の世の礎を築いた徳川家康とちがい、『大姦は忠に似たり』と評されているように、真の忠臣か、あるいは、そう思わせるほどの大姦物だったのか、説は様々だがね」

「ええ、詳しいことは存じませんが、それでも、財政難で傾きかけた宋の国を、思いきった富国強兵策で救い、宰相にまで登りつめ、晩年は皇帝の側近たちの讒言(ざんげん)によって辞職し、隠棲(いんせい)したということは知っておりますが、歴史にその名を残しているぐらいの人物ですから、やはり、それなりの偉大な人物だったのではないかと思います」

「たしかにな。だがまあ、その歴史的評価は兎も角、我国でも湊川(みなとがわ)に散った『忠臣楠氏(ちゅうしんなんし)』と崇(あが)められている楠木正成(くすのきまさしげ)や、『天勾践(こうせん)を空(むな)しゅうするなかれ』の児島高徳(こじまたかのり)など、忠君愛国の士には事欠かないし、安石出(いず)ることも大いにありうる話だな。とはいえ福翁は、その、いわば白石史観を、様々な史実や人物の評価に偏りがあると批判しているが、それは兎も角、きみの計画も、そうした歴史観と洞察力によるもので、やはり、新井白石の影響かな?」

「いえ、新井白石のことも、『正徳(しょうとく)の治(ち)』といわれる幕政改革で、六代将軍の側用人だった間部詮房(まなべあきふさ)を補佐して、『生類憐みの令』を廃止した、日本の代表的な儒学者であることぐらいは知っておりますが、それ以上のことはなにも……。

それに私は幼少の頃から勉学に励まれた大尉殿とは違いますし、今回の計画にしても、そんな教養や知識に裏打ちされた歴史観とか、洞察力などという大層なものではありせん。

それはただ、チャップリンが来日するという新聞記事を見た時にフト思いついた計画で、つまり、先ほども申しましたように、熟慮とは真逆といってもいい直感的な、たんなる閃きにすぎません」

「なるほど、『論語読みの論語知らず』という俗諺(ぞくげん)もあるように、机にかじりついて詰め込んだだけの知識と、現実に即した生きた知恵や洞察力は別物で、大隈侯ではないが、肝心なのは臨機の知能、すなわち、その直感力といってもいいからね。

歴史的な偉人や英雄たちの偉業も、元を質(ただ)せば、そんな突然降って湧いたように閃いた直感、すなわち天の啓示ともいえるインスピレーションがものをいったんだと思うよ。

それは偉大な思想家や芸術家 それに科学者にもいえることで、これもアインシュタイン博士が、『思考というものは』、つまり、歴史を覆すような画期的な考えというものは、『ほとんどの場合意識すらせずに行われることは疑う余地がない』といっているように、たとえばニュートンの『万有引力の法則』という歴史的な大発見も、リンゴが木から落ちるのを見て、?(クェスチョンマーク)が閃いたことが、その第一歩だったようにね。

といっても、ニュートンも、何も考えずに日がな一日ボーッと過ごしていたのでは、そんな歴史的な大発見につながる閃きが生まれることもなかったと思うがね」

「ええ、たしかに歴史に残るような偉人はそうだったかもしれませんが……しかし、おっしゃるように、その新井白石の説通り、徳川幕府の成立が歴史的必然性であったということは、『本能寺の変』もまた、歴史の必然性だったといえますが……」

と田島は、わずかに身をのりだした。

「そうだな、論理的には、そういうことになるな」

「ということは、やはり、それが明智光秀(あけちみつひで)のたんなる野心や、私的な怨恨や対立といった、きわめて人間的な、偏狭で、衝動的な動機による謀む反ほんではなく、胸に秘めた大義ゆえの、つまり、今いわれた『崇高な狂気』ゆえの謀反だったのではないかと思いますが。

というのも、光秀は本能寺へ向かう途中、一万を超える軍勢を率いて、一刻を争っていたにちがいない真夜中の行軍だったにもかかわらず、わざわざ寺に立ち寄り、不動明王に『吾に一殺多生の剣を授け給え』と祈願したという言い伝えもあると聞いております。

寺の名は忘れましたが、そうした言い伝えも、それが大義ゆえであったことを物語っているのではないと思います。『一殺多生』というのは、ただの戦勝祈願とは思えませんし。じつは、私はずっと以前から、そう思っていたんです……余計なことかもしれませんが、そんなこともまた、今回は、私の心の密(ひそ)かな支えになっていました」

「なるほど。それで、『秋(とき)はいま』というわけだな。

たしかに、信長にその才能や教養を認められて秀吉以上に重用された光秀が、たんなる野心や私的な遺恨で謀反に奔はしったとも思えないし、その怨恨説の一つの根拠になっている『明智軍記』を、『近世日本国民史』の著者で恩おんし賜賞も受賞した徳富蘇峰(とくとみそほう)も、『これは立派な小説だ』といっているぐらいだからね。やはり、光秀を衝(つ)き動かしたのも崇高な狂気だったかもしれないな。

またそこには、『泣いて馬謖を』という葛藤もあったと思うが、光秀が、『三日天下』ではなく、せめて三、四年天下人だったら、その胸の内を語っていたかもしれないが、そうすれば謀反人という評価も、あるいは逆転していたかもしれないんだが、明智光秀も、さぞ無念だったろうな」

と、山内大尉は笑い、コーヒーを口にはこんだ。

「ええ。しかしそれを語らずに、というより、『三日天下』で終わってしまったのも、それもまた天命といえるのではないかと思います……ですが、私も胸の内は、つまりアメリカとの戦争を回避するためでもあるというようなことは、村中くん以外には、今回、共に決起する、三上くんや古賀くんたちにも明かしておりません。無論、信頼できないからというわけではありませんが……」

「むう……『燕雀安(えんじゃくいずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや』というからな」

「いえ、断じてそのような思い上がった意味では。また、彼等を燕雀などと思っているわけでもありません。ただ、今は満州の統治を喫緊の最重要課題としている陸軍とちがい、日本の命運は日米の艦隊決戦にかかっているという、『日本海海戦』以来の海軍の伝統的な信念に貫かれている彼等に、その日米決戦を回避するためでもあるというようなことをいえば敗北主義ととられ、徒(いたずら)に不信感を抱かれるようなことになってもいけませんので。

彼等には、秕政の元凶である政財界の要人を一網打尽にし、あわせて、従来の優柔不断な軟弱外交を一刀両断にして根底から改めさせるまたとないチャンスだと、そんな通り一遍の強硬論的なことをいってお茶を濁しています。

また、これは私の自惚れかもしれませんが、私が今回の計画に参加することを知ったら急進派ばかりではなく、今はまだ文書活動に専念している松浦くんはじめ、大人しく眠っている士候等まで共に決起するといいだしかねませんので……捨石の数は今のままでも充分すぎるほどですし、理由はどうあれ一命を共にしようという彼等を欺いていることにかわりありませんが」

と、田島は胸の内の葛藤を苦笑に滲ませた。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『泣いてチャップリン』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。