「ええ……いま大尉殿のお話にもありました、ロシアの皇太子のニコライ二世が来日した時、大津市内で人力車に乗っているところを、警邏(けいら)中の巡査に斬られた大津事件です。ご承知のように そのニコライ二世をサーベルで斬った津田三蔵(つださんぞう)巡査の処置をめぐって、日本中が『黒船来航』以来といっても過言ではない大騒ぎになりました。

伊藤博文公も、当時、世界一の陸軍と恐れられていた大帝国ロシアと戦争になるのではないかと危惧するあまり、ニコライ二世は軽傷だったにもかかわらず 犯人の津田三蔵を死刑にすべしと、日本の近代化の象徴でもある帝国憲法を自らの手で発布したことも忘れ、国法をねじまげるような理不尽なことを時の政府に強要しました。

しかし、司法の独立を守らんとする、大審院の児島惟謙(これたか)院長の正論をもって一歩も退かない抵抗にくわえ、近代国家の根幹である三権分立と国際外交の有り方をめぐり、帝国議会でも喧々囂々(けんけんごうごう)、怒号が飛び交う騒動にまで発展しました。

また、これもご承知かと思いますが、そんな三権分立や国際外交に関わりない、奥羽地方の一山村でも、津田という姓も、三蔵という名も廃止するというナンセンスな条例を、村議会で満場一致で議決したというような事例もあったそうです。

さらに、一家庭の主婦が、負傷したニコライ二世の京都の宿舎の門前で、黒髪を切り落として謝意を表したなどという、先進列強国と肩を並べるまでになった今では考えられないようなことが、新聞でも大々的に報じられたという逸話までありましたが、そうした、まさにチャップリンのドタバタ喜劇といってもいいような出来事や逸話は、当時の人々が、その程度はともかく 身分や階層にかかわらず、ロシアと戦争になるのではないかという危機感から、今にして思えば、滑稽とも卑屈ともいえるほど周章狼狽し、戦争回避に狂奔したことを如実に伝えています。

いかに昔話とはいえ、同じ日本人としてまことに屈辱的な、笑うに笑えない話ですが、その屈辱感や口惜しさは、たとえ『韓信(かんしん)の股くぐり』とはいえ、想像に難くありません。

しかし、『臥薪嘗胆(がしんしょうたん)』、それから十年後の日露戦争の勝利は、その時の屈辱感が近代化を促進する原動力の一つになり、明治政府誕生以来のスローガンである『富国強兵・殖産興業』を、すなわち、近代化の重要性を理屈抜きで認識し、国民一丸となって近代化に邁進(まいしん)した結果だと思います。つまり、大津事件が日本の近代化を促進させる起爆剤になったといえるかと思います。

無論、近代化を促進させた要因がそれだけというわけではありませんが、今も申しましたが、薩英戦争がなければ明治維新は十年遅れていただろうといわれるように、その大津事件がなければ、やはり同じように十年、いえ、その頃すでに朝鮮半島の権益ををめぐり、『アヘン戦争』に敗れてイギリスに香港(ホンコン)を割譲したとはいえ、『眠れる獅子』といわれ、往時の勢力を秘めていると思われていた清朝との主導権争いが激しさを増していましたので、あるいは、それ以上に遅れていたと思います。

そして今また、日本は内外共に、そのとき以上といっても過言ではない国家存亡の危機に直面している、今まさに、期せずして、その危機的情況を打開する、願ってもない起爆剤を手にするチャンスが訪れたのです。

チャップリンとロシアの皇太子とでは、比較にならないかもしれませんが、生麦で斬られたイギリス人は無位無官の商社員でした。それに比べれば、チャップリンは仮にも日本政府の公式招待客であり世界の喜劇王といわれるアメリカを代表する世界的な名士です。相手にとって不足はありません。

さらに、昨今のチャップリンに対する、日本人とも思えない民衆の破廉恥(はれんち)といってもいい熱狂ぶりからも、先ほどいわれた、日比谷の焼打ち事件や、銀行の取り付け騒ぎでも明らかなように、新聞も全国津々浦々にまで行き渡っている今は、大津事件とは比較にならないほどの、全国規模の騒動に発展するだろうと確信しております」

と田島は、また口許を引き締めた。

「たしかに、大騒ぎになるな。それも、日本国内だけでは収まらないだろう」

と、山内大尉も真顔で頷いた。

「ええ、私もそう思います。わけても、日ごとに高まっているというアメリカ人の反日感情を計算にいれれば、大騒ぎどころではなく、日米関係が一気に緊迫するのは自明のことだと思います」

「なるほど。反日感情も計算に入れているというのか。それは火に油で、まさに科学的といえるな」

と、山内大尉の頰は緩んだ。

「然程(さほど)のことではありませんが、何れにしろ、それでアメリカは一段と強硬な姿勢で、いえ、たしかに火に油ではありませんが、尻に火がついたような勢いで日本に迫ってくるに違いありません。

しかし、我国の危機的な情況も、やはり尻に火がついている情況ですので、たとえリスクがあっても、手遅れにならないうちに、大津事件で味わった四十年前の人々の苦い思いと、その後の『臥薪嘗胆』の十年を、今の人々に味わってもらうことが何より肝要かと思います。それによって大津事件後の人々同様、いえ、国際情勢がそのとき以上に緊迫している今は、アメリカに対抗しうる近代国家建設により一層邁進すると確信しております……能書きが長くなりましたが、それが私の、日本を冥途の道連れにしないと確信する根拠であり、成算です」

「む、それでニコライ二世同様、チャップリンにも軽傷を負わせるだけでもいいというわけか」

「そう思い通りにいくかどうか分かりませんが、負傷の程度にかかわらず、津田三蔵同様、狂気の沙汰と嗤われても仕方がない、オトギ噺のような、夢想的な計画であることに変わりありませんが。

しかし、『愚公山を移す』といいますし、また、『義を見てせざるは勇なきなり』という格言は、日本人なら小学生でも知っておりますし、身のほど知らずと嗤われるかもしれませんが、それを天命と心得、軍人としての意地も誇りも棄て、一身を擲(なげう)つ決断をした次第です……奇しくも、時あたかも五月ですし、『秋(とき)はいま天(あめ)が下しる月五(さつき)かな』というのが今の私の心境です」

と田島は、熱のこもった長広舌(ちょうこうぜつ)を苦笑でしめくくった。山内大尉は、深呼吸するように背筋を伸ばしていった。

「たしかに大津事件は、政治家や軍人ばかりか、民衆にも大きな衝撃をあたえた事件で、『聚蚊雷(しゅうぶんらい)を成す』という諺もあるように、『黄巾の乱』から『義和団事件』、さらに時代を下って、孫文の『辛亥(しんがい)革命』に至るまで、いわゆる『民変(みんぺん)』という民衆や農民の暴動が発端で、中国四千年の歴史を彩った数々の王朝が滅亡したという例は珍しくないしな。

また そのオトギ噺のような『愚公』の故事といい、石原中佐の『五族協和・王道楽土』の建設という、夢のような壮大な構想といい、革命的な、歴史的な偉業は、狂気の沙汰とか、オトギ噺と思われるようなことを実現させてこそ、はじめて偉業といえるのであって、オトギ噺と偉業は紙一重、もしくは表裏一体で、たとえ他人には狂気の沙汰と嗤われようと、それは狂気は狂気でも、これもさっきもちょっと話した内村鑑三が、日蓮(にちれん)上人の鎌倉幕府の弾圧にも屈せず仏教改革に命を懸けた純粋な情熱を、『崇高な狂気』といっているように、そうした狂気こそが、真の偉業の源泉ではないかと、今きみと話をしているうちにあらためてそれに気づいた、いや、気づかされた思いだ。

話によると、石原中佐は、『立正安国論』を常に手元に置いているというほどの日蓮の信奉者だというし、黒船に潜り込んでアメリカに密航しようとした吉田松陰もまた、そういう意味では、日蓮上人に優るとも劣らず純粋で崇高な狂気の人だったといえるだろうな……煽(おだ)てるわけじゃないが、きみも、その一人といっていいだろう」

と山内大尉は、また愉快そうに笑った。

「それは国家改造が成就してからいってください。それまでは聞かなかったことにしておきます」

と、田島も笑って応えた。

「分かった、そうしよう……だが、話を蒸し返すわけではないが、その起爆剤がチャップリンとなると、如何に大義のためといえ、やはり少々後ろめたい気がしないでもないがな。

あ、いやいや、『泣いて馬謖を斬る』というそれは、頭では理解できても、諸葛孔明には遠くおよばない私には心が痛むというか、これも夏目漱石ではないが『情に竿(さお)させば流される』で、気持ちの方がついていけないといったところだ……しかし日露戦争からすでに三十年、それは所詮、平和ボケした『大正ロマン』的なセンチメンタルなヒューマニズムでしかないかな。

《二〇三高地》に建立された鎮魂の碑に刻まれた、駄洒落はおよそ不似合いな謹厳実直な乃木(のぎ)将軍が、二〇三高地を『爾霊山(にれいさん)』と漢字に換えて詠まれた漢詩にも、『鉄血は山肌を覆い山形改まる』と詠まれているほどの激戦で、文字通り戦友の屍を乗り越えて突撃し 自らも壮絶な戦死をとげた幾千万の英霊と、その遺族の悲痛な想いのうえに今日(こんにち)の日本があることを想えば、軍人のすべきことではないとか、後ろめたい気がしないでもないなどと、苟(いやしく)も軍人たるものが私情に溺れ そんな『大正デモクラシー』にかぶれたような青臭い感傷に浸っている時ではないな」

「その通りだと思います……これもいま申しましたが、たとえ『拙速(せっそく)』でも手遅れになる前に手を打たなければ、先日のセンセーショナルな新聞の論説や、石原中佐殿の説通り、遠くない将来『宿命の日米戦争』が現実となるのは必至です。また『治にいて乱を忘れず』という観点からも、国家改造は急を要しますので、今は私情にとらわれ、逡巡(しゅんじゅん)している時ではないと思います」

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『泣いてチャップリン』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。