大尉は、その気持ちを察するかのように、小さく頷いた。

「むう、『敵を欺かんと欲すれば』というし、『英雄人を欺く』ともいうからな。

偉業を為さんとすれば、それ相応に他人には話せない苦悩もあるということだな」

「いえ、そんな英雄とか苦悩というほどのことでは……」

「む。だが、それもちょっと文学的な言い方をすれば、そこに歴史のドラマがあるというわけだ。いや、これはヒヤカシではなく、明智光秀が不動明王に祈願したという話もふくめて、『本能寺の変』など、まさにその代表格の一つといえるだろう。

思えば、石原中佐も、政府や軍中央の紛争不拡大方針に反した独断専行で、直属上官の関東軍司令官まで欺く謀略をもって満州進攻に踏み切ったのは、『五族協和・王道楽土』という理想郷の建設という壮大な夢と、やはり、その『安石出でずんば』という自負と使命感があったればこそだろう。

にっちもさっちもいかなくなった現況を打破し、『狂瀾を既倒に廻らす』ためには、時に、乾坤一擲(けんこんいってき)の大バクチも必要、いや、それも時代の要請で、またそれが『大忠』となるか、はたまた『大姦』となるか、その評価は王安石同様、千年後(のち)の世になっても定まらないかもしれないが、何れにしろ、村中くんのいう通り、きみもやはり昭和の王安石といってもいい一人だろう。

あ、いや、それをいうのも事が成就してからにするか。

だが、石原中佐は、独断専行とはいっても、聞くところによると、軍政の実質的な第一人者たる軍事課長の永田大佐をはじめ、参謀本部の中堅幕僚たちとも謀(はか)って、二十八センチ砲という巨砲まで、分解して鉄道資材に偽装して満州へ運びこんでいたということだ。

だが、きみの計画は、事の性質上仕方がないとはいえ、その省部の幕僚はおろか、日本中のひとびとを欺く、まさに『鬼面(きめん)人を驚かす』といった意表を衝く謀略だ。まあ、だから効果的だといえるかもしれないが、『事は密なるを以って成る』という反面、『衆に問わざる謀(はかりごと)は庸(もち)うるなかれ』ともいうし、その真意を、私と村中くん以外には一切話していないとすれば、『曲突徙薪(きょくとつししん)』はいいが、『焦頭爛額上客(しょうとうらんがくじょうきゃく)となる』ということになるだろう。

つまり、火事を未然に防ぐ策を講じた者は顧みられず、火が出てから慌てて駆けつけて、火の粉を浴びながら消火に努めた者のほうが賞賛されるという、人間の浅はかさというか、世間の皮相的な評価を皮肉った辛辣(しんらつ)な格言もあるように、たとえきみの思い通りにアメリカとの戦争が回避でき、めでたく国家改造が成就(じょうじゅ)できたとしても、それは十月事件の収拾の手柄が、荒木閣下一人のものになったように、それがきみの功績と評価されることは金輪際ないだろう。

逆に、きみがいう通り、津田三蔵同様、狂気の沙汰と嗤われるのがオチだと思うが、それでもいいのかな?いや、そんな、世間や他人の皮相的な評価はどうでもいいとしても、自身の名誉とか、プライドということも少しは考えたことがあるのかな?」

「無論、それもこれもすべて覚悟のうえです。荘子は、『善を為すも名に近づく勿れ』と訓えておりますが、坂本龍馬も、『世の人は我を何とも言わば言え、吾が為すことは吾のみぞ知る』と詠んでいますし、『葉隠(はがくれ)』にも、『武士道とは死ぬことと見つけたり』とあります。たとえ嗤われとようと、また犬死といわれようと、そのために一命を擲(なげう)つことに何ら悔いはありません。むしろ、『ライオン宰相』といわれた浜口雄幸の獅子吼(ししく)ではありませんが、それが『男子の本懐』と心得ております」

と、田島は口の端に笑みを浮かべた。が、大尉は表情を変えずに続けた。

「いや、今いったように他人の評価は兎も角、今フト思い出したんだが、きみも知っているかもしれないが、五、六年前に服毒自殺をした小説家の芥川龍之介が、例の甘粕事件を、『チャップリンが突き殺されるところを想像してみ給え』というような比喩をして、官憲の言論思想の非道な弾圧と愚かさを批判しているが、ひょっとするときみは、日本史ばかりか、世界史にもその名を留めることになるかもしれないということだ……世界中の幼い子供たちにも親しまれている、世界の喜劇王、チャップリンを暗殺した、血も涙もない世紀のテロリストとしてね。

そして田島邦明という名前は、謀反人の代名詞のようにいわれている明智光秀や、日本一の憎まれ役といってもいい、忠臣蔵の吉良上野介(きらこうずけのすけ)同様、また欧米人には、キリストを売ったイスカリオテのユダ同様、文字通り千年の歴史に刻まれることになるかもしれないが、それも覚悟のうえかな?」

田島は躊躇なく答えた。

「それもまた私の望むところです……しかし私は不信人者ですので、明智光秀のように不動明王に祈願はしません。また、それが如何に罪深くとも、事の成否にかかわらず、たとえ軍法会議にかけられようと、ラスコーリニコフのように、跪(ひざまず)いて大地に接吻し、神に許しを請うようなこともしません。

私の悪名が、世界にも広く知れ渡れば、知れ渡るほど、大津事件のとき同様人々の事件への関心も高まり、さきほど大尉殿がいわれた『聚蚊雷を成す』の格言通り、いえ、新聞も津々浦々に行き渡っている今は、その時とは比較にならぬほどの騒動に発展し、必ずや『狂瀾を既倒に廻らす』にちがいないと信じておりますので。

大津事件のときは、政府は、津田三蔵の首をロシアに差し出すことで事を収めようとしました。私が潔く自決して事件の幕を下ろしてしまったのでは、それこそ狂気の沙汰と片づけられ、政府や国民が周章狼狽することもないでしょう。

ですが、津田三蔵のように自決もせずに生き長らえ、裁判に付されることによって、全国民がロシアの出方と、その裁判の成り行きを戦々恐々と見守った時と同じように、私の裁判と、アメリカの出方を見守る人々の不安を、より高め、より長く持続させることができれば起爆剤としての効果もまた、より増すだろうと思います。自首を決めたのはそのためです……それに、天才戦略家の石原中佐殿や上杉鷹山などとちがい、一軍人にすぎない私にできることは、所詮その程度のことですから」

と、田島は低い声で一言一言を区切るようにいって苦笑した。

「むん。『大いなる人となるの道は唯二つあるのみである。己の小さきを悟るのは、其の一つである。己の大いなるのを信ずるは、他の一つである』というのは高山樗牛(たかやまちょぎゅう)の言葉だが、これは将(まさ)に、きみにピッタリの言葉だな」

「いえ。私は、そんな自分が大いなるなどと信じたことは一度もありません……ただ、できることをやるだけの話です」

山内大尉は小さく頷いた。

「ただ、できることをやるだけか……『大智は愚の如し』『大巧は拙なるが如し』ともいうが、それが『大いなる人』ということだろう」

「いえ、私はニュートンと違い、いってみれば、落ちたリンゴを拾っただけです。といいますのも、じつは私も、チャップリンの来日が決定したことを知ったとき、以前、やはり、その伏せ字だらけにされた芥川龍之介の一文を思い出したんです。それで意を決したといっても過言ではありません。

もし芥川龍之介が、今も生きていて、チャップリンが殺されたと聞いたら、しかも、それが、この日本で、日本の軍人に襲われたと聞いたら、たとえ未遂であっても、あの理知的な芥川龍之介といえども肝(きも)を潰して飛び上がるのではないかと、すくなくとも、顔色ぐらいは変えるのではないかと、そんなことも想像して決断をした次第です……あるいは、私も、神ではなく、芥川龍之介に鼻面を引き回されているのかもしれませんが」

と、田島は笑った。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『泣いてチャップリン』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。