この世界には、「がん」を殺すことができる殺し屋がいる。当該極秘情報を入手するために、僕は誰もいない放課後の南館三階の情報教室に潜入。まるで特殊スパイのような動きをあえてする。あえてするのだがこの行動に意味はない。ただの雰囲気づくりである。

広い机の片隅で窓から射す光線を半身に受けながら、生徒用に貸し出されたパソコン端末を起動させた。僕のスパイ活動のミッションはただ一つ。「がん殺し」を請け負ってくれる殺し屋を探すこと。

そして僕は画面の向こう側の世界で、「がん殺し」を請け負ってくれる殺し屋を遂に発見することに成功した。業務たる殺しを依頼する方法、報酬、殺害方法など、文明の利器を最大限に利用して、僕は彼のありとあらゆることを調べた。

殺し屋のコードネームは、NK。ナチュラルキラー細胞の略称だそうだ。兵庫県尼崎市在住の、どノーマルな高校2年生である僕には医学的な難しいことは一切理解できない。

難しい医学的記事に直面したとき、一瞬、エロ画像サイトに高飛びしようかという衝動が脳裏に去来したが、オカンのために堪える。我慢しろ、第二次性徴を迎えた俺の底なしの欲望。ジブリ映画の名シーンを必死に思い描いて己の性欲を服従させる。

葛藤に打ち勝った僕は、再びNK細胞関連サイトに集中する。難解な医学用語を読み飛ばしながら、ネットの情報を自分なりに咀嚼。

人間の体というのは、細菌やウイルスなどの病原体、また突然変異して生じるがん細胞などによって常に危険にさらされているらしく。それでも病気を発症せずにいられるのは、体を守るための免疫システムがうまく機能しているおかげらしく。この免疫システムの中心的な役割を果たしているのがNK細胞らしく。NK細胞は体内をパトロールし、がん細胞などを見つけると攻撃し殺傷してくれるらしく。

これがナチュラルキラーと呼ばれる所以らしい。このNK細胞。僕たち人間の体内に五十億個も存在し、その働きが活発になればなるほど、がんを殺してくれる。そして。僕は当該NK細胞を活性化させる驚愕の方法を知る。

その方法とは「笑い」だというのだ。初めに見つけたときは、笑いとがんにどういう因果関係があるのか頓と見当がつかなかった。けれども、調べていくにつれて僕の理解はぐんぐんと深まっていった。

がん患者を対象に、漫才や喜劇を鑑賞させ、NK細胞活性率の計測実験をした結果、「笑い」にはNK細胞を活性させる効果のあることが明らかとなったらしい。つまり、たくさん笑えば、がんに対する抵抗力が高まり、NK細胞ががん細胞を駆逐してくれるらしいのだ。これは日本だけでなく世界的に研究されていることであることも僕は知った。

これだ。これしかない。がんに打ち勝つためには、この方法しかない。「笑い」が唯一の僕の取り柄だから。オカンを助けることができるかもしれない。極秘情報を入手するために、情報の海へ潜入した僕の密偵活動。当該スパイ活動は見事に成功したのだ。

僕は高揚した。どきんどきん、と僕の内側から叩きつけるトキメキめいたもの。打ちつけるその響きは聴くもの全てを優しく包み込むような音。高鳴るそれを僕は右掌でグッと押さえつけた。

情報教室の天井の隅っこに、ふと目を遣ると、あ、蜘蛛の巣。CIAのスパイだって顔負けの僕の観察力は掃除当番のサボタージュを見逃さない。縦、横、斜めに網羅されたそれをぼうっと見ながら、オカンを救うことを天に誓った。地獄で諦めかけていた僕へ、誰かが垂らしてくれた天へと繋がる蜘蛛の糸。

しっかりとこの手を伸ばしてそれを掴んで、ゆっくりと登っていこう。僕は、そう考えていた。

オカンを救うためには「笑い」しかない。毎日、オカンを笑わせる。失敗だーなんて許されない。必ず笑わせる。NK細胞を活性化させる。そして、オカンに巣食うがんを殺してみせる。

スキルスを殺せ。オカンを救うんだ、僕は、僕の「笑い」でオカンを救う。殺してやる。がんを殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。

※本記事は、2019年11月刊行の書籍『尼崎ストロベリー』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。