「建築年月日は戦前ちゃいますよね?」と言いたくなるようなボロボロの木造校舎の三階の教室で、僕たちは青春の日々を過ごしていた。授業中、机の上に頬杖をついて教室の窓から見える景色を眺めて、頭の中であーだこーだと様々な角度や視点から夢想するのが大好きな自分。

しかしながら、この教室は、そんな僕にとって超絶最悪なのである。理由は耐震工事なのである。自分推定では戦前建立の老朽化した当該校舎は、施設整備補助金という名の莫大な公的資金を投入されて、耐震補強工事を施工されていた。

教室の窓のすぐ内側には、大きなV字型の鉄骨が入れられている。このV字型鉄骨で補強することにより、耐震強度が増幅するのであろう。そんな「V」。まるで、「Victory!!!」と叫んで主張してくるような完全なる「V」なのである。

僕は窓際の席だったから、その鉄骨の「V」と隣り合わせで、毎日のスクールライフを過ごしていた。僕は、毎日、考えていた。

なぜに「V」やねんー、と。なんか、もっと、あったんちゃうかなぁ。まぁ、構造上の問題など色々と問題があるのだろうけれども、そこは拘って欲しかった。「V」やなくて、もうちょっとシュッとした感じの。まだ「X」とか、「Z」とか、もっと言えば「逆V」とかなら、まだ、やっていける気がする。

でも、「V」て……。なんか恥ずい。こザムい。苦手。「V」と隣り合わせの学園生活。自分が毎日「大勝利やでぇ!」とVサインを出している気がして、マジでこザムい。

当時、この耐震工事を担当していた設計士とは天地神明に誓って友になれはしないだろう。毎朝教室に入るたび、僕はVの席に座ることが恥ずかしくて苦痛であった。

また、世界の中心で「V」と叫んだケモノが犯した罪はこれだけではない。僕の心に羞恥心を生じさせるばかりでなく、物理的な意味でも僕に弊害をもたらした。それは僕が窓際の席に座ることで享受することのできる眺望の妨害なのである。

「V」という鉄骨に阻まれて景色が見えないのだ。僕の席から外の景色を眺めようとすれば、首をニュニュニュッと差し出して、この「V」を躱(かわ)して眺望を楽しまなければならない。はっきり言って邪魔でしかない。息が詰まる。

何がVictoryなのかは知らないが、こちらとしては全然Victoryじゃない。こんな圧迫感しかない鉄骨教室、本当に嫌だ。僕は早いこと進級して別教室へ移り、新たな非V生活を心の底から望んでいた。

今日だってそうだ。物思いにふけりながら、僕は「V」を躱して、窓から広がる景色をぼうっと眺めている。

※本記事は、2019年11月刊行の書籍『尼崎ストロベリー』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。