第3章

抗がん剤の副作用が比較的落ちついているときは、病室でオカンとお笑い番組を観たり、昔の懐かしい思い出話をしたりして、穏やかに流れる時間を共に過ごした。関西地方では、日曜日の昼間に漫才番組の特番が放送されていることが多い。漫才のネタ番組を病室で観て、漫才談議を楽しんだ。

個室に入院する経済的な余裕はなかったので、四人の相部屋でオカンは入院していた。白のカーテンでシャーっとベッドの周りをぐるりと囲って簡易個室を作る。ベッドの横でパイプ椅子に僕は座る。

オカンはちょこんとベッドの上。めちゃめちゃ狭い。他の患者に迷惑をかけないように、漫才番組を「小」のボリュームで観て二人でコソコソ笑う。この狭いスペースが演出するオカンと僕との距離が、築四十二年の文化住宅二〇一号室で過ごしたあの頃を僕に思い出させた。

「駿ちゃん、今の漫才、面白かったなぁ」

「めっちゃ人気出てきてるもんな、若手コンビのハッチ」

「この子ら、ええ漫才するもん」

あの頃と変わっているのは場所だけだった。いつもの文化住宅の部屋が、病室に変わっただけにすぎない。それ以外、僕とオカンは何も変わらない。距離も。感覚も。

「今の漫才の何が面白いのかって考えてみたんやけどな。多分リアリティやと思うねんなぁ」

「リアリティ?」

「この漫才のネタは、もちろん創られたものやねんけどな。そこに、この子らの性格や想いが乗っかってんねんな。ボケの子の極度の小心者の性格とか、ツッコミの子の底抜けの明るさとか、普段この子らが思っていることとか考えていることとか。もちろんお笑いやから誇張してやってるねんけど、この子らのほんまやねんな、多分」

「なるほどねぇ」

「日常の等身大のほんまもんの自分がネタの根底に流れてるから、漫才がめっちゃオモロなると思うねん。結局、笑いはリアリティなんやろね。舞台の上で、上手に自分を出したもんがオモロイねん。お客さんに伝わるんよなぁ」

長年の間、お笑いを観てきた感覚値を用いて、オカンは半分独り言のように喋った。オカンに伝えなければならないことをふっと思い出したのだけれども、ぐっと腹の底で留保して僕はそれを黙って聞いていた。話がひと段落したくらいで、僕はベッドの上に置いてあるリモコンを操作してテレビを消し、そぞろに口を開いた。

「ところで、ちょっと話あるねんけど」

「何なん?」

「この前さ、オカンが雑誌で見つけたMANZAI甲子園あるやん? あれに出てみようと思ってるねん」

オカンの眼は倍以上に膨張して「え? ほんま? ほんまなん?」と言った。続けて「いつ?」と問うので「今回の大会に出ようと思って。予選は来月から」と僕は答えた。

※本記事は、2019年11月刊行の書籍『尼崎ストロベリー』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。