広島市内を赤チャリでほぼ1周し、私は最後に青春時代の失恋の場所を目指していた。

高校3年生の9月、野球部を引退して大学進学のための学費を稼ぐべくアルバイトに励んでいた、広島市内の中心地にある「モンブラン」という喫茶店で一人の女性に出逢った。

その女性は、年齢は私の一つ上で、会社勤めをして、退勤後数時間アルバイトという形で来られていた。若い私は彼女に心惹(ひ)かれるものがあった。12月に、映画に誘って初デートをし、大学3年生の年末までプラトニックな交際をしていた。

しかしながら、出逢いがあれば別れがある。

互いのボタンの掛け違いや、私の長期間にわたる音信不通が原因で別れてしまった。

師走(しわす)に広島に帰省した際、市内のレコード屋さんで加山雄三のLPレコードを購入し、最終バスに乗って帰宅していた。

その帰り道は彼女のアパート近くを通る道でもあった。

車中で、

「このまま彼女に会わず、何もいわなければ、後悔するぞ」

という声が私の胸中にこだましていた。

彼女のアパート近くのバス停にバスが停車するが降りる勇気がなく、次のバス停に行った時にようやく勇気を持って降りることができた。

すぐ引き返し、彼女のアパートの前に立つ。

彼女の部屋がある2階の角からは蛍光灯の白い明かりが漏れていた。

アパートの玄関から階段を1段ずつ上がり、彼女の部屋のドアを2回ノックした。

中から久々に聞く彼女の声が、

「はーい」

と響き、ドアが開けられ、彼女の顔が現れた。

「お久しぶりです。入っていいですか」

片手に加山雄三のLPレコードを持って、わずかながらの会話をした。部屋を見渡すと、数年前に一度来た時には私が大学の拳法部の合宿を日本全国で行った際、その地方のお人形をプレゼントしたものがあったが、今回は何もない。

また、以前は電話もなかったが、ダイヤル式のモスグリーンの固定電話があり、その電話から私のところには今まで何のメッセージもなかった。その場の雰囲気を感じ取り、立ち去ろうと決め、最後にひと言彼女に対する自分の気持ちを伝えようとしたが、言葉にならず、

「さようなら」

だけとしかいえなかった。

ドアに向かって部屋を出ようとした時、彼女から、

「濱本さん 何もできなくてごめんなさいね」

といわれ、その言葉を背中に背負いながら振り返ることもせず部屋を出て、階段を下り、アパートの前に立ち、彼女の部屋に向かって、か細い声で、

「ありがとう。我が青春に悔いなし」

といっていた。

生まれ育った故郷広島でのこころの旅をしたあと、今回の香港遠征に先立って、私は「女子硬式野球── 白球の心 香港へ」と題した1通の企画書を作成した。そこには、こんな一文を記した。

目的

1. アジアの女子硬式野球のレベルアップを図り、日、米、加、豪の4強に対抗する力を育成するため。

2. 平和の尊さを伝えるとともに、女子硬式野球の父・四津浩平氏の思いを伝える。さらに日本と香港の友好を深めるため。

前述したように、世界の女子野球の勢力図は、日本、アメリカ、カナダ、オーストラリア勢が図抜けており、中国、香港、台湾、韓国などのアジア勢は日本を除いては一段レベルが落ちるというのが実情だった。

女子野球の世界的発展のためには、

「絶対にアジア全体のレベルを上げなければならない」

いう思いが私にはあった。

また、戦後間もない広島で生まれ育った自らの体験を香港の女子球児たちに語ることで、

「野球を通じた平和交流もできるのでは」

いう思いもあった。

さらに、文中に登場する故四津浩平に対する恩返しの思いも持っていた。

※本記事は、2017年2月刊行の書籍『女子硬式野球物語 サクラ咲ク1』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。