第二話 香港遠征物語

 

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11月28日──。

今回の香港遠征の最初のクライマックスシーンがいきなり訪れた。

快晴に恵まれたグラウンドには、さまざまなユニフォームに身を包んだ香港の女子球児たち30数名が集い、定刻の午後3時前にはすでにほぼ全参加者がクリニックの開始を待ちわびていた。

平成国際大学の4選手と花咲徳栄高校の5選手も、それぞれのユニフォーム姿になっている。私もまたユニフォーム姿でグラウンドに立ち、選手たちに向かって、

「では、みんなここに集まって!」

と叫んだ。

現地在住の日本人通訳・三好正記(みよしまさのり)の声が響き渡る。日本と香港の選手たちが集まり、私を中心として半円状に直立不動で並んでいる。緊張気味の香港の女子球児たちを前に、私は英語での挨拶を始めた。

「……Hello,everyone.My name is MITSUHARU HAMAMOTO.Please call me,ハマーor ハマサン……」

香港の女子球児たちは、それぞれが「ハマー」、「ハマサン」と口にする。そして、ここから、およそ3分30秒もの間、私は英語で語りかけた。

「今回は、香港にお招きいただき、こんなに素晴らしい機会を与えてもらったことを、とても光栄に思います。香港チームの強化のために、何かお役に立てればと思っています」

それは決して流暢(りゅうちょう)な英語ではなかったけれど、ひと言ひと言、丁寧に発した言葉は、香港の選手たちにも訴えかけるものがあったはずだった。

「……私は、日本の広島の出身です。広島は原爆の街として有名なところです。私はその地で野球を覚え、その地で野球を学びました。それが今の私の原点となっています。そこで今回は、核のない平和な社会を望むとともに、野球ができる幸せを感じながら、このクリニックを成功させたいと思っています……」

「原爆」

という単語を耳にして、香港の選手たちが神妙な顔つきになった。

私は広島で生まれ広島で育ち、この地で野球と出会い、そして野球に救われた自らの経験を、ぜひとも香港の若者たちに伝えたかった。

今回の香港行きに際して、私は英語で1通の手紙をしたためていた。

それが、この場で語りかけている内容のものだった。しかし、私はその紙片を手にすることなく、香港の選手の目を見つめながら、一人一人に向かって英語で語りかけていた。

「……日本の女子硬式野球は13年前に四津浩平という人が莫大な私財を投じて高校選手権大会を開催したのがきっかけでした。大会は四津さんの下で、7回も開催しました。それが原動力となり、現在、日本の女子硬式野球が盛んになっているのだといっても過言ではありません。

その四津浩平氏も5年前にガンが原因で亡くなりました。私たちはそんな四津氏のボランティア精神を継承して、今回ボランティアで香港に参りました。四津氏も天国で女子硬式野球が全世界に広まることをこころより願っていると思います……」

核の話、そして四津浩平の話。いずれも、私が今回のクリニックで、野球の技術以上に香港の選手たちに、ぜひとも伝えたいことだった。

彼女たちが、私の思いをどれだけ理解してくれるのかはわからない。

けれども、クリニックのスタートに当たって、私はぜひとも、それだけは最初に話しておきたかった。

たとえ、言葉では伝わらなくても、これから始まる3日間の講習の中で、

「平和の尊さ」

「四津浩平の思い」

を、自らがこころを込めて体現することができれば、香港の選手たちにも、その思いは必ず伝わるはずだ。

そんな信念に満ちあふれた私の挨拶が終わると同時に、グラウンド上は大きな拍手に包まれた──。

※本記事は、2017年2月刊行の書籍『女子硬式野球物語 サクラ咲ク1』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。