演繹法と帰納法、及びパリサイ人とサドカイ人

演繹的推論とは数学上の方法論のことです。例えばある仮説に関し、「Aである」ということは「非Aである」、または「Aでない」ということはありえないとする排中律と、「AならばB」かつ「BならばC」の時は「AならばCである」が成り立つという推移律を繰り返し、事例を推論する方法論のことです。

例えば「人は死ぬ」という仮説があるとすれば、「私は人である」ので、推移律によって「私は死ぬ」が導かれます。次に排中律によって「私は死なない」ことは推論として否定されます。結論はしかし「私が死んでから」、彼の仮説は正しかったと他人が判断してくれるというわけです。

また帰納的推論とは自然科学上の方法論であり、具体的な個々の事例に基づいて逆に仮説を作る作業です。その基本は個々の事例が属する集合を定義し、それらの事例の「性質」を集合の性質として表現することなのです。

集合の定義としては、その要素の全てを書き出す外延的定義、即ち完全枚挙と集合の要素を満たす「条件」を規定する内包的定義とに分かれます。しかし帰納的推論では全ての事例を網羅する外延的な定義は不可能です。したがって推論ではなく推測止まりになってしまいます。

例えば先述のように、存在する全ての辞書により「科学」という言葉の意味を定義しようとする場合です。つまり帰納法とは集合を内包的に定義するための「条件」を見いだそうとする作業です。そうすることにより、その集合に属する全てが事例と同じ性質をもつこととなり、実際に観測や実験した事例以外の事象に対しても予測可能になるのです。

例えばマタイ伝16章1節から4節におけるパリサイ人やサドカイ人に対するイエスの糾弾が、それです。「時代のしるし」と「天気予報における時のしるし」のアナロジーは帰納的推論の内包的定義です。

なお、パリサイ人とは律法主義に陥ったユダヤ人が属する派閥名です。神の律法を人間の教えと「解釈の誤り」によって空文化しようとした宗教家たちです。サドカイ人とはユダヤ人でありながら復活を否定し、霊的な事柄を認めようとはしなかった現世志向の唯物思想家たちのことです。サドカイ人とはリベルテンの会堂に属する者たちで、近代合理主義者や進化論者と同じです。

彼らの過ちは神など存在するはずがないと決めてかかった「前提の誤り」です。パリサイ人を父なる神に訴える御方は、キリストではありません。パリサイ人が望みをかけたモーセがその人です。

サドカイ人を父なる神に訴える御方は、キリストではありません。自分で決めた不信仰の通りになるだけなのです。聖書を使って出鱈目を語る異端者のグループと、聖書は出鱈目だと語る無神論者のグループですから、どっちもどっちなのです。

※本記事は、2019年7月刊行の書籍『西洋キリスト教という「宗教」の終焉』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。