栗に願いを

看護師さんは、じっと私の目を見つめ、表情を変えることなく、無言で首を振った。看護師さんの目を見つめたまま言葉が出ない。私を見つめる看護師さんの目がうるんできた。まだ理解できない。

私たちは彼が見つけた幸せの城に向かっていたんだ。そんな彼が私の前からいなくなることなんてあり得ないんだ。

「彼は……助からなかったってことですか」

この言葉を絞りだすのが精一杯だった。人生でいちばん辛いこの言葉を。そして、大きな一粒の涙がこぼれ落ちると同時に、肩が震えてきて呼吸が乱れてきた。

そこからは、私のむせび泣く声だけが病室に響いた。泥だらけになった彼の鞄と私の鞄が丁寧に拭かれて部屋の隅のソファーに置かれているのが見えた。誰にも八つ当たりできない状況で、私は、まず何をすべきなのか?

「あの……携帯は無事ですか?」
「はい。何度も同じ番号から連絡が入っていたので、その方の電話だけはすみません、出てしまいました。不動産業者の方でした」
「大丈夫です。ありがとうございます」

時間になっても来ない私たちを心配してくれたんだろう。私の気持ちが少しずつ落ち着いてきた。何より彼の家族に連絡を、と思ったものの彼の実家の電話番号を知らなかった。

彼の携帯はかなり破損がひどく、データの修復は不可能では、と看護師さんが言った。深呼吸して、まず東京の彼の事務所に連絡、そして、家族に連絡を取ってもらう。まず、これだけをちゃんとしよう。

「あの……私は、すぐに退院できますか?」
「先生に確認しておきますが、しばらくは安静が望ましいですね」

そこからは、どういう順番で、何をどう進めていったのかもあまり覚えていない。ただ、唯一私に会いに来てくれたのが不動産業者の結城さんだった。私とは初めて会う結城さんは、来るべきではないのでは、と自問自答しながら病院に来たのだという。

「結城です。あの、大丈夫ですか。あの、私、あの……」
「わざわざありがとうございます。私は、明日退院して東京に戻ります。今回は本当に申し訳ありません」
「はい……。あの、お約束していた家の写真だけ持ってきました。今回、このようなことで……非常に残念ではありますが、リチャードさんにとても気に入って頂いていましたし、早くパートナーと一緒に見にくるね、っていつも言って頂いてて……」

その家の写真を見ていると、また泣けてきた。結城さんは、本当にすみません、と、また言葉を詰まらせた。

「ありがとうございます、見れてよかったわ。本当にありがとう」

話には聞いていたのだが、話以上に素敵な家ということが、その写真からうかがえた。でも、今の私にはどうすることもできない。

結城さんにはお礼を言って、私は東京に戻った。あまり深くを家族に話すと心配するので、「ちょっとした事故に巻き込まれて少し打撲したの」くらいに説明はとどめておいた。

※本記事は、2020年8月刊行の書籍『君と果実を』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。