第3章 山心の発展期

【奥穂高岳】 吊り尾根を越えて ~1986年7月(49歳)~

7月23日 登山道具のチェック​

今日もまた天気最悪。予報によると梅雨明けは、来週の月曜日ごろになるという。

でも、悪天候がそんなに何日も続くことはないかも? そんな気がする。私一人だったらもう1泊したいが……もう白井さんには悪くて言えなかった。

雨のなかを出発。昨日登った奥穂高の頂上はすぐに通過。今日は15キログラムの荷物を背負っているが、道を知っているので心強い。白井さんの後を私が歩く。手足四本のうち三肢で体を支える三点確保の連続だ。

奥穂高から前穂高の吊り尾根で会ったのは、外国人の男と日本人の女の二人連れだけだった。

私たちは濃霧で姿が見えなくなると、「おーい、おーい」と声をかけ合った。すぐに姿が見えなくなる。

この道は、穂高岳山荘をつくった今田重太郎さんが、奥さんと二人で切り開いたのだという。小さな娘さんを岩場に寝かせて道普請をした。娘さんは23歳で病死。以後ここを「紀美子平」と呼ぶようになったという。

私たちは紀美子平に荷物を置いて、前穂高をピストンすることにした。岩肌に付けられたペンキの丸印を探す。道に迷わないように付けてある。次はあそこ。

難所に出会った。

ペンキが付いた垂直にそそり立つ4メートルくらいの岩。そこに行く足場が見つからない。私が右のほうを。白井さんが左のほうを探す。やっと白井さんが遠回りして上のほうに出た。壁に取りついたまま私は動けない。悪戦苦闘が続く。

「慎重に! 時間はいっぱいありますから~」

白さんの声。私は自分で選んだコースは諦めて、白井さんの選んだ左からの道に回って、白井さんに追いついた。前穂高の頂上まで1時間だった。

山頂では、霧のなかのポールに手をかけて、写真を撮り合う。景色は360度、何も見えなかった。

紀美子平に戻って、ザックを背負う。その途端、白井さんのザックの紐が切れた!

左側の肩掛け紐がザック本体から「根こそぎ」切れてしまった。肩掛け紐の途中から切れたのなら別な紐を継ぎ足してつなげることもできるが、ザック本体に穴が開いてしまってはどうにもならない。

白井さんは左肩の脇の下あたりで、上からの紐を左手で握ったまま岩場を右手だけで降り始めた。岳沢の岩場で両手を使いながら三点確保したいところを、左手がふさがっていてできず、慎重に、慎重に、下山。

白井さんの話では、このザックは学生時代ワンダーフォーゲル部で使っていた愛用の物だという。使い慣れた山道具は、捨てがたいものだが、「古過ぎたもの」は破損することがあるということを教えられた。

地図時間の2倍以上かけて、やっと岳沢ヒュッテに落ち着いた。

「雨止んだじゃない」
「太陽が顔を出しそうですね」

眼下には上高地のバスターミナルや帝国ホテルの赤い屋根、蛇行する梓川が小さく見えた。

まだ時間は早いが、ザックのことがあったので岳沢ヒュッテに泊まることにした。

※本記事は、2019年9月刊行の書籍『山心は紳士靴から始まった』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。