【鷲羽岳(長野・富山)】 北アルプス最奥を歩く 1989年8月

知らない山たちのなかへ

いよいよ4年間念願だった鷲羽岳を登り始める。汗を拭きながら登っていると、昨日黒部五郎岳で会った推定70歳のおじいちゃんと出会った。9時半だった。おじいちゃんは懐かしそうな顔をした。

「昨日18 時に水晶小屋に付きました」

という。もう帰ってくるところだった。

私たちが黒部五郎小舎に到着し、午後の半日を小屋でくつろいでいたころ、このおじいちゃんは、三俣蓮華岳、鷲羽岳ときついピークを越えて、水晶小屋まで歩いていたのだ。北アルプスを歩いている人は、年齢も服装も関係ない。体力、気力の弱い人はいないことを改めて教えられた。

2924メートルの鷲羽岳の頂上には黄色いポールが建っていた。鷲羽池を下に見て、西鎌尾根から槍へと稜線が続く。この大きすぎるパノラマ風景を、何度本で見たことか。やっとその頂上に立てた。ワリモ岳を越えて水晶小屋に着いたのは12時半だった。

宿泊を申し込む。「昼飯を済ませたら、水晶岳に行きましょう」と久我さんに話しかけると、疲れたらしく、横になったまま、「明日の朝、日の出を写しに行けばいいんじゃないですか」と乗り気じゃなかった。だが、昼食を済ませてひと休みしたことと退屈になってきたことで、「行きましょうか」と久我さんも同意してくれた。

水晶小屋の近くは土と草の散歩道のようだが、頂上近くになると、岩だらけで、平らなところはまったくなかった。昔、2978メートルの頂上あたりでは水晶が採れたとか、そんな理由でこの名前が付いたらしい。それより前は「黒岳」と呼ばれていたころもあるそうだ。

黒部五郎岳、三俣蓮華岳、鷲羽岳、雲ノ平など、その向こうに見える槍も穂高も大天井も燕岳もみんな私が頂上を踏んで知っている山だが、ここからはそうした山々が遠ざかってしまい、いま私の目の前には、赤牛岳、野口五郎岳、三ッ岳、烏帽子岳など、名前さえあまり口にしたことのない山々が次々に迫ってきた。

頂上から見る風景はひどく寂しく感じられ、まるで知人に囲まれていた自分が、急に知らない人たちのなかに放り込まれたような心境だ。「五郎小屋」といっても「黒部五郎小舎」ではなくて、ここまで来ると野口五郎小屋であることも知った。

明日は、あの未知な稜線を歩くのだ。水晶岳の頂上に30分ほどいて小屋に戻ると、宿泊客は十九人に増えていた。食事はテーブルだけでは足りず、布団の上やゴザの上で食べる人もいる。まるで避難所生活だ。

夕方6時に布団を敷く時間になると、小屋の人が宿泊者たちに声をかけた。

「誠に申しわけありませんが、皆様全員ちょっとの間だけ、外に出ていてください。その間に布団を敷きますので」

泊まり客もこの狭さはわかっているので、快く外に出た。

「雨でも降っているときは、どうするんでしょうね」

外に出された泊まり客同士で話していると、やがて、

「どうぞ。布団が敷き終わりましたので、なかにお入りください」

それぞれ他人には遠慮しながら、自分のスペースだけは確保したいと思いつつ、譲り合いながら割り当てた。

いよいよ寝る態勢に入ったが、私は隣の人が万歳をしているように両手を頭の上に上げて寝ているため、肘が邪魔して眠れない。手を下ろしてくださいと言いたいが、どこの誰だかわからない人なので言えない。

そういう人に限って先に(いびき)をかいて本格的に寝入ってしまう。どうしようもない。私は起き上がって、四つん這いになりながら、自分の足と頭の位置を反対にして横になってみた。両隣の人の足は、毛布で包んで臭くないようにしたが、缶詰めのなかの(いわし)のようだ。