第3章 山心の発展期

【奥穂高岳】 吊り尾根を越えて ~1986年7月(49歳)~

また来るときには

凄い快晴だ! 私たちは上高地から登って来る人たちと何度もすれ違いながら、河童橋へ下った。(梅雨明けを待って、家を出る日をあと1日遅くしていたら……。穂高岳山荘にもう1泊していたら……)と思いながら、歩き続けた。

このコースは天気の良いときにもう一度歩きたい。今回はそのときの下見だったのだと思うと、無念の気持ちは少しずつ消えていった。

そして、7年後の56歳。1993年8月24日に「奥穂高やり直し登山」へ今度は一人で出発。

快晴続きだった。ザイテングラートを登りながら涸沢氷河や北尾根Ⅳ峰、常念岳、蝶ヶ岳全望を確認。翌25日、8ミリフィルムカメラでご来光撮影、雲海の上に鋸のような八ヶ岳、単独峰の浅間山。

午前5時、奥穂頂上着。360度の眺望に満足。目の前に涸沢岳、右に天を突く3180メートルの槍ヶ岳、左には爺ヶ岳、雲ノ平、薬師岳、間に黒い剣岳、右に双耳峰の鹿島槍。

笠ヶ岳は近い。ジャンダルムと西穂高。赤い岩肌の焼岳はかなり下。裾野の長い乗鞍岳、台形の姿の木曽駒ケ岳、奥に白山。

雲海は時間が経つと乱れてきたが、前穂高三峰の右に富士山がばっちり! 7年前の雨中の体験が懐かしかった。あのときのことが、心のなかで肥やしになっていることを実感した。

人生に無駄はない。

【北岳】 満天の星空に流星群 〜1986年8月(49歳)〜

1日目 初めて挑む南アルプス

もう何年も北アルプスに取りつかれてきたが、ここらで気分を変えて、南アルプスに出かけてみようと思った。

山梨県の甲府駅前を午前7時30分のバスで出発。高鳴る気持ちで2時間、登山口となる広河原に着いた。上高地とは違い、素朴で開けてないのに驚く。野呂川のつり橋を渡ると広河原山荘があった。同行の久我さんが張り紙を読む。

「シャワーがあるんですね。10分で500円だって」

午前10時、登山開始。歩き始めるとすぐに、二俣方面と御池小屋方面への分岐に出た。御池小屋方面を進む。最初から厳しい登りだ。下山する人たちとすれ違う。私は久我さんに話しかけた。

「登る我々は働き盛りの勤め人で、下山する人たちは定年退職した人たちみたいだね」

25歳の久我さんは言う。

「でも、下山していく人をうらやましいとは思いませんね。僕たちは、先が楽しみですから」

汗が背中と胸を流れる。しばらく登っては立ち止まって、飴玉を口に入れて、ひたすら樹林のなかを登る。もう2時間になる。やっと小さな沢に出た。清流で手と顔を洗う。前方を見上げると、頂上を雲で隠した大きな山が見えた。

(名山として名高い鳳凰山かな?)

2時間半の登りを終えて、御池小屋に到着。宿泊を申込み、部屋を案内された。指定された場所に荷物を下ろして、とりあえず350ミリリットルのビールを買う。

うまい!

向かい側では年配の二人の男がウイスキーの水割りをやっている。一人が、

「どうですか、一杯」

と私に話しかけてきた。せっかくなので、遠慮なく私は紙コップをいただいた。聞くと69歳で川口市の人。もう一人が56歳で所沢市の人だった。

「私も川越ですよ」
というと、
「なんだ、みんな埼玉県人じゃないですか」
そう言いながら、さらに注ぎ足された。

いままで登った思い出の山を、互いに語り合う。小屋の夕食を済ませると、午後8時には眠りについた。

※本記事は、2019年9月刊行の書籍『山心は紳士靴から始まった』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。