第3章 山心の発展期

【甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳】 報われた真夜中登山 〜1987年8月(50歳)~

3日目 仙丈ヶ岳に登る

夜中の2時に目を覚ますと、私は宿泊他客を起こさないように、久我さんを耳元で静かに起こして、小屋の外に出た。

「月が綺麗だね!」

南アルプスの真夜中の空は、満天の星だった。

「十五夜みたいに、月が真ん丸ですね」

雲が動き、月が見え隠れする。月明かりの庭のテーブルで荷物を整理して、小屋の前の湧水で顔を洗った。

午前2時40分、ヘッドライトを頭に着けて出発。大平小屋から登山道はすぐにジグザグになった。

月も雲に隠れてしまい、真っ暗である。ヘッドライトに照らされている二人の足元だけが明るい。

聞こえるのは二人の靴の足音と息づかいだけだった。さっきまで眠っていた肉体は、突然頭から「歩け」「登れ」と激しい命令を強いられる。

「きついね」
「疲れますね」

30分登っては5分休む。耳を澄ませると、遥か下のほうで川の音がする。道はよく手入れされているが、木の根や石ころだらけだ。

踏み違えて捻挫しないように気を使う。南アルプスのこの山のなかを、もし一人だったらと思うと気味が悪い。

10分、20分という時間が、まるで1時間2時間のように感じられるのだ。相棒が力になる。

「電池が終わるのかな?」

久我さんのヘッドライトが暗くなってきた。足元がよく見えないと余計気疲れがする。

「一休みしようよ」

私は予備のペンライトをザックから出した。

「これ、使ってみて」
「用意がいいんですね。こりゃあ助かる!」

久我さんは嬉しそうだった。少し明るくなりかけてきた。午前4時40分に馬の背ヒュッテに着く。

時間にすればわずか2時間だったが、真夜中登山はきつかった。まだ3週間前にできたばかりという丸太小屋を巻くように通過。

昨日登った仙水峠の上のほうは、雲が明るくなってきた。緩やかな道を少し歩き、這い松帯を抜けると、展望が一気に広がった。雲海のかなたに中央アルプス、北アルプスの連山が総出演だ。しばらく登ると、仙丈ヶ岳の稜線の懐に抱かれるように仙丈山荘があった。

なかをのぞいてみると、床下の空間がない。土の上がいきなり床板だ。それでも、悪天候のときなどは助かるに違いない。

すっかり夜が明けた。朝の山はすがすがしい。大カールのなかを登り、稜線に出ると一気に仙丈ヶ岳の頂上に着いた。午前6時10分だった。

大平小屋を早く出発したおかげだ。3033メートルの頂上にはすでに10人ほどが展望を楽しんでいる。3776メートルの富士山の右に3192メートルの北岳が立ち、その右に3191メートルの間ノ岳が並ぶ。まるで将棋盤で、王将の右に金将が、その右に銀将が並んでいるようだ。

「高さ日本一と二と三が肩を並べるように聳(そび)えていますね」と久我さんが私に言うと、隣で食事をつくっているフードの男が話しかけてきた。

「仙丈ヶ岳の頂上に登った人しか見られない贅沢な風景ですよ」

北岳の右に稜線が伸びる。間ノ岳、農鳥岳、塩見岳、その後ろに荒川岳。右に赤石岳、聖岳、光岳と波涛のような山並みが続く。ずっと、右にしばらく山はない。

孤立した一つの山を地図で調べると、恵那山らしい。さらに右に途切れて山はない。そして今度は中央アルプスが連結した黒い貨物列車のように連なる。大きいのが空木岳で、宝剣岳も千畳敷のロープウェイの駅も、望遠鏡ではっきり確認できた。右に木曽駒ヶ岳、御嶽山と続く。

ちょっと切れて乗鞍岳、焼岳、笠ヶ岳、穂高岳、槍ヶ岳、常念岳、鷲羽岳、水晶岳、さらに立山、劔岳と並ぶ。後ろ立山の鹿島槍ヶ岳、五竜岳、白馬岳のほうは雲で見えない。手前に低く延びているのが、霧ヶ峰と美ヶ原だ。

少し途切れて蓼科山から八ヶ岳連峰が続く。赤岳がやけに高い。八ヶ岳の手前近くに鋸岳。昨日登った甲斐駒ヶ岳、摩利支天……。

遠く雲海のなかに頭だけ出して見える奥秩父の山々。瑞牆山、金峰山、甲武信ヶ岳、両神山、雲取山。右に近く大きく鳳凰山。その後ろには、雲海に筏のように浮かぶ丹沢山塊。そして富士山!

日本百名山が、この日だけでも何と37座も見えた。(展望日本一は仙丈ケ岳だ!)私は確信した。

こうして頂上にいた時間はなぜか昨日の甲斐駒ヶ岳と同じ80分だった。午前7時半出発。小仙丈ヶ岳まで60分の雲上散歩。さらに石ころ道を90分下り、北沢峠に到着。大平小屋に預かってもらっていた荷物をもらいに行く。

広河原まで相乗りタクシーで来ると凄い警備の人たちを見た。運転手の話では、20分前に27歳の浩宮さまが北岳に向かったと教えてくれた。

出発時の荷物、12キログラム。使ったお金は2万1000円。

※本記事は、2019年9月刊行の書籍『山心は紳士靴から始まった』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。