A 総論 はじめに

A-03  小,中,高から大学選択までの人生基盤の振り返り

学校の教員になろうと少し思ったのは,中学校の時です。今思えば,中学校の職員室に毎日のように行っていました。なぜか学校が面白かったのです。いろいろな先生がたくさんいて,いろいろな教科がたくさんあり飽きなかったのです。生徒会の役員にも立候補しました。

3年生になるとき,生徒会長に立候補しようと思いましたが,他の立候補の子が,学習がよくできスポーツ万能で体も大きく男女ともに人気があり,とても勝てないと思いました。その情報をキャッチし,すぐに副会長立候補に転身しました。見込みのない勝負より,可能性のある方にかけた方が良いと思ったからです。

このようなこともあり,中学校生活が非常に楽しかったことを覚えています。生徒会活動の中学校生活が基盤となり,学校が楽しいところと思い,教員は良いかなと思いましたし,友人からも人の面倒見が良いので教員が向いているよとか言われたことを覚えています。

高等学校においては,良い思い出は全くありません。理由は,学習についていけなかったからです。岐阜県立恵那高等学校理数科というところを受験しましたが,模擬テストなどの点数は大きく足りませんでした。

しかし,通学している中学校から多く受けるのと,落ちても理数科の倍率が高く1.5倍前後(定員80名),普通科が定員割れしており普通科に回れるからです。しかしながら,当日の受験問題の予想を半年前より各種分析し,5教科の重点や予想をたてました。特に,理科,社会は有効でした。

今では,塾や各種受験関係雑誌などに出ているので珍しいことではないのですが,当時は先進的だったのかもしれませんし,各種分析が好きでした。当日は,すべての科目が独自予想のおかげでよくできました。

理科は,90%程度の的中率で,他の科目もかなりの率で予想が当たっていました。こうして試験には合格したのですが……,その後の高校生活は非常に厳しいものでした。ハイレベルでついていけなかったからです。

大学の進学にあたり,ポイントは2点でした。化学系の専門学部学科であることです。化学だけが唯一面白いと思い,点数的にもある程度取れたからです。