ザ・バサラ

玄関で五郎八が取り次ぎを頼むとすぐに番頭が挨拶に来た。まもなく主と主の嫁である信長の叔母が来て奥座敷に通された。いつものことである。一通りの挨拶が済むと茶室で茶を立てられ戴く。

吉法師はこれが嫌でずっとここに来ないでいた。

五郎八が付き人になってから月に一度は来るようになっていた。半年前からのことである。大橋屋の座敷にある珍しい美術品、茶道具を見ることも楽しいと思うようになった。大橋屋の主よりも五郎八の方が詳しく説明してくれたことにもよる。

川船からの荷降ろし作業、蔵への積み込み作業は活気があり見飽きなかった。

また蔵の中の品々も興味があった。聞いたことの無い国の産物で、見るのも始めての産物が数多くあり、いつまでも飽きずに眺めていた。少年にとっては珍品ばかりであった。五郎八は番頭よりくわしい説明をしてくれる。そのたびにびっくりさせられていた。信長が元服する前のことになる。

信長はその後、那古野城に入り元服した。十三歳のときであった。名前は三郎信長とつけられた。名付け親は択彦宗恩とされている。臨済宗妙心寺派の坊主で、家老平手中務が信長の教師として連れてきた。択彦はその後も信長の師としてしばしば助言を与えている。