悠子は優と共に中川館長にこれまでの報告をした。

「信長の祖父信定は津島の経済力に目をつけ、そこを支配下においた。支配下にするまで大分てこずったようです。自分の娘を津島の大店、大橋屋に嫁がせることに成功してうまくいったようです。そこからの富を得て、さらに勢力を伸ばしたようです。姻戚関係を利用した成功例です」

悠子が報告した。

館長は前から分かっていたようだ。そして言った。

「そう言えば信長の父信秀の妻、つまり信長の母は土田氏であったな。土田氏は清洲城のすぐ西にある甚目寺観音の門前町を支配する土田政友の娘だ。当時は庶民の楽しみとしてどこの門前町も賑わいをみせた。当然そこに商いがあり、金が集まった。信定は自分の子供を利用して姻戚関係を作り勢力下にしていった。現代でも昔もすることは同じようだ」

と笑って言った。これには北野が驚いた。そこまでは調査が行き届いていないからであった。少しがっかりした表情を見せる。

「北野君まだ始まったばかりだ。先は長いぞ」

北野は踏ん張って答えた。

「はい、がんばります」

と言ったので皆が笑った。

ここで館長は気になることを言った。

「歴史年表を読むと中世は室町までだ。近代は安土桃山からだという学者がいる。わたしもそう思う。この時代から『兵農分離』が始まり動員兵士は格段に増加した。それらを可能にできたのは経済力そのものだ。尾張の守護代の奉行にすぎなかった信秀は富の力と戦略で西尾張を支配下にした。歴史を読むとは詳細を見つめながら全体像をつかむことだ。それとは別の面で津島が信長に与えた影響は大きいと思う。

是非そのことも調査してほしい」

館長の適格な指示に今回の調査のきびしさを悠子と優は感じ取った。

悠子はさっそく北野に命じて兵農分離および当時の戦の仕組みにについてレポートを提出させた。一週間後、北野はレポートをまとめた。

「小笠原さん、まず当時の兵力集結および兵糧の状況から説明します」

北野のレポートは簡潔かつ明確にまとめられていた。