ザ・バサラ

「守備隊も死力を尽くして防衛にあたる。実際に守備隊は全滅している。その分、攻撃側も大きな痛手をこうむりその後の戦に対し無力となる。他の配置で鳴海城に二千人、大高城に二千人、鎌倉街道に三千人、義元本隊の後詰に三千人いたとすると残りは七千人となる。

この内、義元の親衛隊は一千人とする。それならば六千人が織田軍の砦、善照寺砦、中島砦を扇の要のごとく取り巻いたであろう。いわゆる鶴翼の陣となる。少人数に対する必勝の構えであった」

「今川軍は負けるはずがなかった。でも負けた。その原因は地形にあった。戦闘場所は広い原野ではない。また田畑でもなかった。義元の本陣は田楽狭間の高台にあり鳴海城や大高城が見通せた。

しかし、鶴翼の陣となった戦列は複雑に連続した丘の上にあり、しかも丘の下は湿地帯であった。横の見通しが悪く、各隊の連絡も取りにくい地形でもあった。

そもそも鳴海城は、伊勢湾の奥の干潟、あゆち潟に面している。行き来は、潮の干満を見ながらの通り抜けしかできない場所にあった。中島砦も同様な場所といえた。

信長は地元だけにこの地形を熟知している。昼過ぎ、善照寺砦から中島砦に移動した信長は、義元の本陣の位置の情報を得て、最短距離の行程で本陣に突入し義元を討ち取った」

「中島砦から田楽桶狭間までしばらくは干潟である。信長はおそらくムシロを用意して迅速に動いたと考えられる。なにしろ信長はケンカの達人であった。勝てるコツを知っている。

それに比べて今川軍は複雑な丘と湿地帯により横の動きが封じられていた。雷雨もあって連携もとりにくい状態でもあった。負けるはずない鶴翼の陣が正常に機能しなかったからである。それらの要因が重なり信長が勝利することができた」

館長の長い話が終わった。しばらく皆は黙っていた。北野が声を発した。

「館長のお話で事態が少し分かってきました。そこで気になったのですが信長はこの戦いに勝てる目算はあったのでしょうか。大方の見方では玉砕で戦って偶然に勝ちを拾ったように書いてありますが」

北野の疑問はもっともに思えたので悠子もなりゆきを見守った。館長はおもむろに話出した。

「これは個人的な見解だ。私の立場もあり今回君たちだけに表明する」

館長の話はこれまでの史実見解の常識を覆すものであった。