ザ・バサラ

優は話を繋げた

「ようするに戦はケンカの延長みたいなものですから。信長はケンカに勝つコツを肌で覚えていったと思います」

さらに優は続けて言った。

「戦法を学び戦略を考えたとき、信長は必要な時、自由に動かせる兵力がないとはじまらないことに気がついた。そこで専従の軍団を作り上げていった。戦がないときは訓練をして実戦にそなえた。武器、武具も統一していった。それらの改革により近代的兵団が誕生したことになりました」

優は少し誇らしげに言ったので悠子はにやりとした。

優の能力は相当なものと感じた。簡潔にまとめることも優秀な証であると思った。

「優くん、那古野城時代はその後どうなったの」

悠子は二人きりの打合せのときは名前で言うようになっていた。

「結構な事案がおきています。時系列でまとめました」

   《信長 少年期・青年期》

 天文十六年  十四歳  初陣を飾る

 天文十八年  十六歳  美濃斉藤道三娘帰蝶と婚約する

 天文二十年  十八歳  父信秀の葬儀が行われる

 天文二十二年 二十歳  平手政秀自刃する

 同年          美濃斉藤道三と富田の正徳寺で会見する

 弘治元年   二十二歳 清洲城主となる、尾張中央部を支配下におく

信長はまさに毎日がドラマのように生きていました。

「一つ一つの内容をチェックするとすさまじい限りね。現代の私たちには想像もつかない過酷な試練にさらされて信長は生きていた。そしてこの先も続く。まさに運命の人ね、信長は」

「運命の人といえば徳川家康もそうですね。家康はそのころ松平竹千代と呼ばれていました。当時の松平家は今川と織田のはざまで苦しんでいました。天文十六年から二年間は織田家に寄留し天文十八年には今川に引き渡されて、駿河に人質として暮らすようになります。それがなんと五歳から七歳にいたるときです。つらい苦難の時代でしたね」

「五歳から七歳といえば多感な時よね。そのつらいとき信長と家康は交流を深めていた。二人は兄弟のような関係を持った。だから後の清洲同盟もできたのね。歴史は人のめぐり合わせが大きく作用して作られていく。このこともその証の一つね。古文書よりも人と人の繋がりを考察することが大切かもしれない」

優は悠子の語りにうなずいていた。

二人は時代が作るドラマをみせられて深い淵に落ちていく自分たちを感じていた。

「清洲城時代はどうなっていくのですか」

悠子は少し興奮ぎみに言った。