ザ・バサラ

「バサラ」とは、派手、伊達、目立つこと、と広辞苑に記載されている。婆裟羅と漢字で表し、語源はサンスクリット語で「金剛、金剛石」のことと書かれている。

室町時代初期に活躍した佐々木道誉がバサラと呼ばれる最初の人物と言われている。出自は近江源氏の名門である佐々木京極家とされる。足利将軍二代目足利義詮の重臣を務め、幾多の危難を持前の武勇で乗り越えた武将と言われている。

その道誉は武人でありながら立花の達人であった。さらに連歌の名人でもあり、そのうえ茶道、香道もたしなむ当代一流の人物と目されている。

しかしその振舞は常人と大きくかけはなれていた。派手な姿を見せびらかし、しかも型破りな恰好で思うがまま自由闊達に生きていた。そこで人は「バサラ者」と呼んでいた。

その後、安土桃山時代に入り『傾奇者』と呼ばれる人が現れる。異風を好み、派手な身なりで、常識を逸脱していた人を称して呼ぶ。少し蔑みの意味も込められているようである。

作家、隆慶一郎は安土桃山時代、一世を風靡し謳歌した前田慶次を主人公とした小説「一夢庵風流記」を書き下ろしている。前田慶次こそ「傾奇者」の第一人者であり、その生きざまを綴った小説である。

その序文に、傾奇者について以下のように書き記している。

「傾奇者」はいつの世にもいる。彼らは一様にきらびやかに生き、一抹の悲しさと涼やかさを残して速やかに死んでいった。ほとんどの男が終わりを全うしていない。

「傾奇者」にとっては、その悲惨さが栄光の証だったのではあるまいか。彼らはまた一様に高度の文化的素養の持ち主だった。時に野蛮とも思われる乱暴狼藉の陰に隠れてはいるが、大方が時代の文化の先端をゆく男たちなのである。田夫、野人とは程遠い生きものであった。それどころか秘かに繊細な美意識を育てていたように見える。それがまた一様に「滅びの美学」だったのではあるまいか。

隆慶一郎氏、独特の歴史観、人物観が綴られている。

バサラ者と傾奇者はまさに同義語と言えるだろう。

そしてその「傾奇者」の一人に織田信長の名が挙げられる。