Ⅰ 東紀州 一九八七 春

1

紀伊半島を巡る「紀勢本線」が全線開通したのは意外と遅い。昭和三十八年で、僕が生まれて二年後のことである。

小学生の頃には、「DD51」と呼ばれるディーゼル機関車が客車両を牽引していた。この機関車が牽引する青や茶色の貨物車両の長い重連が、山間(やまあい)の木々の間を縫って敷設された路線の上を走行していく。その姿を小学校の二階にある図書室の窓から眺めることができた。

「佑君。また汽車眺めているん。どこが面白いの?」

好きだった同級生の女の子にそう言われる度に、

「汽車やない列車や!」

ムキになってそう答えていた頃が懐かしい。

地区の人々は、この「DD51・ディーゼル機関車」を「汽車」と呼んでいたが、本来、汽車とは、D51(デゴイチ)などに代表される石炭を燃やして蒸気で走行する「蒸気機関車」の総称である。

東紀州は現在も電化されていないので「電車」と呼ぶわけにもいかないが、長い間東紀州地域を運行し支えてきたこの「ディーゼル機関車」は、地域の人々には力強さの象徴である「蒸気機関車」と同列にあるのかも知れない。

まあ、それはそれとして。 僕は今でいう鉄道オタクや鉄道ファンと称されるマニアではない。しかし当時、唯一の交通機関であった鉄道への愛惜は今でも感じることがある。

僕が中学生の頃まで、亀山から新宮に至る紀勢線は「キハ45形」と呼ばれる朱色の汚れた気動列車が運行されていた。高校生になり通学列車として利用する頃には、国鉄色と呼ばれるクリームと朱色のツートンの気動列車の「キハ35形」。

加えて東京駅から紀伊勝浦駅間には「紀伊」、通称「ブルートレイン」と呼ばれる青色の寝台特急も運行されていた。僕は、「DF50形」気動列車に牽引されるこの「ブルートレイン」にどうしても乗りたくて、その為だけに東京の大学を受験した。

「東京のK大学を受験するわ」

「佑、あんた、その受験日って卒業式の前日やないか!? 卒業式出んつもりなんか?」

母の和枝の言葉に、

「大丈夫や。卒業式の朝には駅に着いとる。学生服だけ学校に持ってきといて!」

そうして、帰路に念願であった青い寝台特急に乗車したのである。向かい側の寝台席のお爺さんからミカンを貰ったことや、翌朝に鷲羽駅に着くと小雨が降っていたことなどを鮮明に憶えている。

そう、卒業式は生憎の雨であった。あれから十年近い年月が経ち、東紀州地域の日本国有鉄道はJR東海になった。国鉄色の「キハ58」+東海色の「キハ28」の二両編成の列車が今も小さな駅に着く。(立派な鉄道オタクか……)