第一章 伊都国と日向神話

4.伊都国の日向神話

では秦氏が移動を開始する前の伊都国には、どのようなご祭神が祀られていたのであろうか。現地の住民であった秦氏にとっては、多分ありふれた神々であり、取り立てて強調するまでもなかったかもしれないが、移動後の秦の民が故郷を懐かしむには、恰好の神々たちであったに違いない。現世にまで伝えられたことに敬意を払って、それら伊都国の神社名やご祭神を見ることにする。

伊都国があったのは、現在の糸島市である。同市の式内社は豊玉比売を主祭神とする志登神社一社であるが、他の神社のご祭神にも、日向神話の主人公が勢ぞろいしている感がある。下記の神々のお名前を見れば、これはもう、この伊都国こそが日向であった、といっても過言ではない。

写真を拡大 [図1] 伊都国の神社名やご祭神

豊玉姫の父は海神豊玉彦(綿津見神)であるが、ここに出て来る神々の系図を、以下に簡単に示す。

写真を拡大 [図2] 神々の系図(豊玉姫の父は海神豊玉彦)

海神綿津見の娘である豊玉姫と玉依姫の姉妹には、穂高見という兄がいる。綿津見神は海人族の阿曇氏の祖であって、その阿曇氏が日本海から長野県松本盆地に移動して住んだから、そこを安曇野という。また穂高見命のお名前を採って、穂高岳や穂高神社がある。

穂高神社の主祭神は、当然のごとくに、穂高見命、綿津見命および瓊々杵(ににぎ)命である。そして奥穂高岳の山頂には、その嶺宮がある。この系図には、たいへん重要な意味がある。

すなわちアマテラスの系統と、海人族(阿曇氏)の系統とが、ヒコホホデミと豊玉姫、およびウガヤフキアエズと玉依姫という二組の縁組によって、固く結ばれているということである。朝鮮半島経由の天孫族が、北九州の地元海人族との間に協力体制を築いたのである。

山幸彦(ヒコホホデミ)が、兄の海幸彦から借りた釣り針を失くしたことから、海幸・山幸の物語が始まるのだが、宮崎の日向より、ここ伊都の日向の方に臨場感がある。

何しろ綿津見神の宮に想定できるのが、対馬の海神(わだつみ)神社であるからだ。そのご祭神は言うまでもなく、豊玉姫命であり、配神には彦火火出見命やウガヤフキアエズのお名前もある。

明治3年には「和多都美神社」とし、同6年には「海神神社」に改めた。ご祭神も明治4年に、八幡神から豊玉姫命へと変更したが、その詳しい経緯は知らない。

対馬といえば、もう魏志倭人伝の世界そのものである。朝鮮半島から最初の渡海によって対馬国に至る。続けて一支国、末盧国に至って、さらに伊都国(福岡県西部)へ到るのである。

従って伊都国の日向神話に登場する神々・神話は、魏志倭人伝の一行が海を渡る経路と重なっていることになる。伊都国のヒコホホデミが、対馬国の豊玉姫と結ばれるのは、近距離で納得できる。それが宮崎の日向と長崎の対馬では、あまりにも遠距離結婚ではないか。

ウガヤフキアエズと玉依姫の結婚も、そんなに遠いのでは勘弁してほしい。海幸・山幸の物語は、山の民と海の民との交流譚でもある。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『ユダヤ系秦氏が語る邪馬台国』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。