第一章 伊都国と日向神話

5.伊都国の中のユダヤ

邪馬台国の時代は、倭国はまず海人族の文化をもつ国として、中国の史書に現れてくる。その特徴としては、

・男子は皆、鯨面文身していた(鯨面=顔の入れ墨。文身=身体の入れ墨)
・断髪文身して、蛟竜(こうりょう)の害を避けた(蛟竜=想像上の動物。竜になる前の四脚の蛇)
・倭の水人は、潜って魚蛤を捕まえる・文身して、大魚や水禽を避ける(水禽=みずとり)
・文身は、のちにやや装飾的になり、諸国によって差異がある
・その差は、左右・上下・尊卑により異なる

わが故郷の東三河は、三河湾を抱いて渥美半島と知多半島が東西に在る。渥美半島は、島崎藤村の「椰子の実」で有名であり、また知多半島は、新美南吉の「貝殻」の詩の舞台でもある。その「渥美半島」は、北九州から移住してきた阿曇族の名に由来する。

著者がまだ中学生のころ、母親から聞いた単語が「阿曇目(あづみめ)(安曇目)」であった。それが目の縁を隈取る入れ墨であることもついでに教わったが、後年になって阿曇族のことを書物にしようとは、当時は夢にも思わなかった。

しかし縁は不思議なもので、母親が旧制安城高等女学校に通っていたとき、そこの教壇に立っていたのが、若き日の新美南吉であったのだ。阿曇族(阿曇連)の祖は、『古事記』では、イザナギが禊祓(みそぎはら)いをするときに生まれ出て来る。

「竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(をど)の阿波岐(あはき)原に到りまして、禊(みそ)ぎ祓(はら)ひたまひき」と、禊ぎをされたとき、イザナギのその滌(すす)ぐ行為から生まれてきた。その化生した神々を一覧にすると、以下のようになる。またその化生するときを説明する文である。

写真を拡大 [図表]化成した神々

この三柱の綿津見神は、阿曇連等(あづみのむらじら)が祖神(おやがみ)と以(も)ち拜(いつ)く神なり。故(かれ)、阿曇(の)連等は、その綿津見(の)神の子、宇都志日金拆(うつしひがなさくの)命の子孫(うみのこ)なり。その底筒之男(の)命、中筒之男(の)命、上筒之男(の)命は、墨江(すみのえ)の三前(みまえ)の大神なり。

上記の神社名からして、志賀海神社も住吉大社も、海人族が信仰する神々をお祀りしている。また志賀海神社のある志賀島は、「漢委奴國王」の金印が発掘された島である。そしてこの「宇都志日金拆命」のお名前には、実に重要な情報が含まれている。

UTU-SI=ユダヤの
HIGANA=日を反射する金属(鏡)
SAKU=割れる(「拆」の意は、「ひび・割れ目」)

海神綿津見の子は、当然のように海人族のリーダーであるが、この「宇都志日金拆命」はユダヤ系であり、かつ鏡をもつことができる身分=国王であり、その鏡は「割る」あるいは「割られる」性質のものである。するとすぐに思い浮かぶのは、伊都国王のものと思われる墳墓から、大量の割れた(割られた)鏡が出土したことである。

「宇都志日金拆命」は、ユダヤ系の神であり、倭国を間接支配する漢や魏の代理ではあっても、伊都国の王であったことを意味している。綿津見神=阿曇氏は海人族代表ではあるが、海人族そのものではない。

「秦氏」と秦氏に属する「秦の民」の関係は、ここでも同じように、「阿曇氏」と阿曇氏に属する「海の民」ということになる。言い換えれば、阿曇氏の「海の民」は、魏志倭人伝に載る「鯨面文身」の人々であった。阿曇氏は、海の幸(海産物)や海運を得意とするユダヤ系の一族であり、また「伊都国王」でもあった。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『ユダヤ系秦氏が語る邪馬台国』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。