【前回の記事を読む】【近世欧州】征服の時代。資本主義と結びついた植民地開拓の驚きの実態”

第一章 資本主義の誕生

《二》ヨーロッパ絶対王政と重商主義

絶対王政時代の重商主義

商業資本主義と急速に進む植民地形成との結びつきは、組織上のイノベーションを引き起こしました。

一つには、資本主義の核をなす企業が明確に姿をとって現れたことです。一六〇二年に設立されたオランダの「連合東インド会社」は、植民地交易のために設立された多くの株式会社のうちで最も大きく強力でした(イギリス一六〇〇年、フランスは一六〇四年、スウェーデンは一七三一年にそれぞれ東インド会社を設立しました)。

今一つは、金融資本主義の新たな機関が現れたことです。有価証券の取引を行う証券取引所は、アントウェルペン(アントワープ)では一五三一年、アムステルダムでは一六〇二年、ロンドンでは、一五七一年に設立され、それ以来現在まで存続しています。

それまでの交易企業は一六世紀に至るまで、相対的に独立して仕事をし、帳簿も別建ての少数の商人が、きわめて限られた期間のみその都度協働する共同経営の形をとっていました。しかし、オランダの東インド会社とともに資本会社(株式会社や有限会社)が登場しました。

六四五万ギルダーというオランダ・東インド会社の巨額な資本金は、それぞれが有限の責任のみを負う二一九人の出資者によって拠出されました。彼らは定期的に配当金を受け取りましたが(年平均で一八%)、しかし会社の運営にはほとんど影響力を持ちませんでした。出資者を変えつつ東インド会社は一七九九年まで存続しました。