【前回の記事を読む】イタリアで「ルネサンス」が起こった理由は“資本主義の誕生”

第一章 資本主義の誕生

《二》ヨーロッパ絶対王政と重商主義

絶対王政時代の重商主義

一四九二年のコロンブスのアメリカ大陸発見とともに大航海時代が始まりました。この大航海時代こそが、資本主義の担い手を民間から王室へと変質させた契機となりました。その端的な例として、コロンブスの西回り航路探求プロジェクトに対するスペイン王室に拠る援助を挙げることができます。

コロンブスの一種のベンチャープロジェクトの企画書は当初、ポルトガルやスペインの王室からほとんど相手にされませんでしたが、土壇場でこの企画書を拾い上げたのがスペイン女王のイサベル一世(在位:一四七四~一五〇四年)でした。同王室は利益の九〇%を得る条件でコロンブスの航海費用を負担しました。

その成果はインドへのルートを発見するという目的(コロンブスの目論見ではインドへの近道を発見するといううたい文句でした)とは大きくかけ離れたものでしたが、結果として新大陸が発見されて、スペインは見事に予想以上のリターンを獲得することに成功しました。

その後、大航海プロジェクトは各国王室の重要な事業となりました。中でもスペインとポルトガルがこの時代の圧倒的な政治経済的勝者となりましたが、この時代の資本主義は、一二~一五世紀のイタリアで始まった民間経済主体の資本主義と異なって、国家による資本主義というところに特徴がありました。逆にこのような大きな事業は国家でなければやれなかったのです。

この頃の政治体制は絶対王政でその経済政策は重商主義といわれています。絶対王政時代、国の富はその国の保有する貨幣や金・銀の量に比例すると考えられ、初期には、直接に金・銀を獲得しようとする重金政策がとられました。そのため、国内や植民地の金・銀の鉱山の開発に力がそそがれました。

重商主義において、植民地政策はきわめて重要で、ヨーロッパの絶対王政政権は、最初は貴金属を得るために(そのための鉱山開発)、南北アメリカやアジアを植民地にしていきました。絶対王政時代初期にスペインが繁栄したのも、「銀船隊」によって新大陸から大量の銀を持ち帰ったからでした。のちには、輸入をおさえて輸出をさかんにし、輸出超過による貨幣の獲得をはかる貿易差額主義がとられるようになりました(これも一種の重商主義です)。

貿易差額の増大をはかるために、輸入税の引き上げ、輸出税の引き下げなどの関税政策がとられました。