【前回の記事を読む】特攻隊で生き残った父「お国のために我慢してみんな不幸に…」

結婚

そんな想像にふけっていた私の横で、母が墓石に向かって、

「お父さん。恭子が結婚しますのえ。ええお相手さんで、『恭子さんを一生大切にします』と言うてくれはりました。結婚したら東京に行きますけど、どうぞずっと見守ってやってくださいよ、頼みますよ」

血管が浮き出るほど強く両手を合わせて拝んでいた。拝み終わると、「お父さんがやはったらなあ。どんなにあんたの花嫁姿を喜ばはったことやろうなあ」。悲しみのこもった声でつぶやいた。

父が亡くなって十五年経っていたが、母が「お父さんがやはったら」と声に出して言ったのを聞いた記憶は、三回しかない。弟が公認会計士の試験に合格したときと、弟が結婚したとき、そして今回、私の婚約を報告したときである。博史との結婚生活を想像すると、楽しいことしか考えられなかった。

一緒にいることが束縛ではなく喜びで、もっとずっと一緒にいたいと思えた。してもらうことを求める気持ちよりも、何かしてあげたいと考えるのが楽しかった。

結婚式と披露宴は、一九九一年六月十六日、東京のホテルで挙げた。結婚式で、神父さんから「健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しきときも、常にこの者を妻として愛することを誓いますか?」と聞かれた博史は、めちゃくちゃ大きな声で言ってくれた。

「誓いますっ」

同じ文言で「夫として愛することを誓いますか?」と聞かれた私は、彼にだけ言わせてはならじと、声を張り上げた。

「誓います!」

神父さんが、すごくうれしそうにうなずいてくださったことを、今もはっきり覚えている。披露宴の二次会で、友人から質問が出た。

「どちらが先に好きになったんですか?」

博史が「僕です」と迷いなく言い切り、私は「私だと思っていました」と正直に答えた。