重太郎、海防に向き合う

岩淵の屋敷を辞去した一行は、夕やみが迫っていたが、海防番所を通る通行手形を発行してもらうために、お玉が池の船着き場から舟通しの堰に向かい、粗衣川を下って二河平野の北寄りにある小粗衣の屯所に向かった。

そこは、粗衣川から二河平野の灌漑のためにつくられた人工水路の小粗衣川が分枝している場所である。粗衣川は上げ潮なのか、舳先に掲げる提灯の明かりに照らされて、小さなさざ波が絶え間なくたっていた。

屯所には知らせが行っていたと見えて、夜遅くにもかかわらず、軍奉行の萱野軍平が待っていた。萱野軍平は、今回の疾の海防番所で起きた見回りの舟が行く方知れずになった事件を概略し、

「前回と違うところは、鷲の嘴で鉄砲傷がある番士の遺体が発見されたことだ。これは単なる海難事故じゃないということになる。前回もそうだったのかも知れない。もしそうだとすると、これらの事件は組織的な犯罪と言うことになり、抜け荷と関わりがあるのではと思うのだ」

しかしながら、前回は人も近づかない坊の入り江で、抜け荷などできるわけがないという先入観があって、もたつくうちに坊の入り江で異国船座礁事件が起き、抜け荷のほうが鳴りを潜めたらしく調べようがなかったと言う。

「坊の入り江で抜け荷が横行していると言うことは、海防に穴があると言うことで、藩としては由々しき問題と考えている」

異国船が難破した事件以来、萱野軍平は海防に危機意識を持っていた。海防方に命じて、異国船から大砲を降ろし、試射をして、その破壊力のすごさを知ると、藩でも鉄製の大砲をつくらなければという思いに至った。

だが、藩には大量の鉄を精錬する施設も、大砲を鋳造する施設もなかった。そのうえ、執政たちのなかでは誰一人として海防の緊急性を理解してくれなかった。

それは次席家老の脇坂兵頭が執政たちに先に根回ししていたからで、表向きの理由は日本海にそんな船がうようよいるわけではないというのと、萱野軍平の要求を呑めば、藩財政がひっ迫するのが目に見えているからだった。

そうこうしているうちに、蘭学に堪能な緒方三郎が、南蛮船から押収した書物のなかに、鉄製の大砲の製造に関する解説書や火薬に関する書物があると報告してきた。それで、緒方三郎には引き続きそれらを翻訳させ、萱野軍平はそれをもとに、まず鉄を精錬する反射炉の建造を目論むのである。

また、船には百丁にものぼる鉄砲が積んであり、それとは別に弾薬と火薬が貯蔵されている火薬庫があった。異国船にあった火薬は爆発力に威力があった。その理由は純粋な硝石を使っているからである。