重太郎、青山新左衛門の護衛役に

和木重太郎が剣の腕を買われて、藩主義政の稽古相手をするようになってから半年ほど経った頃、突然、用人の加持惣右衛門に命ぜられ、周りに挨拶をする暇もなく江戸を発つことになった。役目はお側衆の青山新左衛門の護衛である。

青山新左衛門は加持惣右衛門から国家老の新宮司隼人宛の返書を携えていた。坊の入り江で海防番士の遺体が見つかり、事件の裏に抜け荷が関わるのではと、岩淵郭之進は新宮寺隼人と相談して、抜け荷のことを調べるのに、財務に明るく、地元で顔を知られていない人物を派遣してくれるよう、江戸にいる加持惣右衛門に要請した。それで、お側衆の青山新左衛門が選ばれたのである。

重太郎を護衛につけたのは、青山新左衛門から藩内に起きた出来事を学ぶことも多かろうと思っての起用で、重太郎の器量を試そうというのもある。青山は江戸に六年もいるのに、一向にあか抜けず、朴訥ぼくとつそのものの和木重太郎をいっぺんで気に入った。

道中、青山は加持惣右衛門から世間知らずの重太郎を教育してくれと言われていたから、国元からの報告書にあった出来事を具体的に教えた。

昨年、南の藩境の坊の入り江で異国の海賊船が座礁した事件があり、それと前後して、疾の海防番士の行方不明事件が二度あったこと、特に二度目の今回の事件では、番士の惨殺体が見つかり、番士が誰かと争ったと考えられるから、それと抜け荷とが関わるのではないかなど、すべてを話した。

二人は普通なら江戸から十四日ほどかかるのを、十日あまりで国入りした。街道から粗衣川に沿った道を城下に向かう。潮見台の突端に二河城の天守が見えたとき、重太郎は無性に母親のことが思い出されたが、ここで青山と別行動をとるわけにはいかず、二人は岩淵郭之進の屋敷に直行した。

このとき、満は病の床についていたのである。三月前に文を出したときはまだ元気だったが、胃部が膨らんで食が細り、しだいに痛みが出て寝込むようになっていたのだ。蘭方医の良全の見立てでは、胃に命に関わるしこりができているという。重郎左衛門は満の病気を重太郎に知らせようとしたが、重太郎が江戸を出立していたので行き違いになった。