坊の入り江

用人の加持惣右衛門は、昨年、坊の入り江で武装した異国船が座礁したとき、その戦闘能力を調べた軍奉行の萱野軍平の報告で、もし、その異国船から砲撃を受けたら、金崎港などひとたまりもなく壊滅すると聞いた。

しかしながら、執政のほとんどは、異国船の話は知っているはずなのに、海防のことに危機意識を持っている者は誰もいないようには思えた。それで注視していると、誰かが意図的に口止めさせているのがわかった。

その誰かとは次席家老の脇坂兵頭だったのである。勢戸屋と癒着していた脇坂は、海防のことが取り上げられると勢戸屋のやっている抜け荷がやりづらくなると、先回りして報告を握りつぶしていたのだ。

異国船の座礁事故のことは、幕府には報告していて、書類上はすんだことになっている。しかし、城代家老の新宮寺隼人と加判役(家老)の岩淵郭之進は、異国船一隻とはいえ、その銃火器の脅威に藩の海防が対抗できるのかと、頭を悩ませているのだ。

藩主義政からは幕府が動き出す可能性があるから、やり過ぎないようにと釘を刺されたが、すでに軍奉行の萱野軍平から異国船の大砲の性能を知るために試射をさせてくれと要請があり、実際に試射が行われたことがわかった。

それを聞いた脇坂兵頭は萱野軍平の独断を苦々しく思った。

萱野軍平にしてみれば、藩の海防の脅威となる異国船の戦闘能力は、海防のために直ちに知るべき情報で、一刻の猶予もゆるされないとの判断から、動かない執政たちに業を煮やして、自分の権限で大砲の試射を行ったのだ。

萱野軍平が異国船の大砲の試射を断行し、大砲を六か所の海防番所に振り分けたことなどの報告を受けた脇坂兵頭は、海防方による近海の哨戒など、海防が強化されると勢戸屋の抜け荷にとって大きな脅威になるから、萱野軍平の独断専行を施政会議で取り上げ、その動きを抑えようとした。

江戸にいる用人の加持惣右衛門は岩淵郭之進から密書をもらった。密書を運んできたのは諸星玄臣である。内容は廻船問屋の勢戸屋が抜け荷をやっているらしく、問題はそれに家老の一人が絡んでいるようだということだった。事態を重く見た惣右衛門は、藩主義政と協議のうえ、目端の効くお側衆の青山新左衛門を呼んで、密命を与えた。「国元で勢戸屋という廻船問屋が抜け荷をしているという。それを調べてもらいたい」

青山は切れ者であるが、いい大人ながら、なかなかの変わり者だった。年頃になって幼馴染と一人の女をめぐって鞘当てとなり、口数の少ない新左衛門は、結局、袖にされたことがあった。それが尾を引いて、いまも独り身を通している。