結社に入って二年弱の私だが、私の決断は正しかったと思う。

結社では毎月、主宰(しゅさい)と呼ばれる結社の創始者(または後継者)が出席し、多数の句友が会場に集まって開かれる定例句会の他、インターネットを使った通信句会を行うところもある。通常の句会では、句会の仲間による「互選(ごせん)」と主宰の「師選(しせん)」を通じて、投句への評価がなされる。

評価されて選句されたのは「取られた」句、評価されず選句の対象にならなかった場合は「取られなかった」句という。句会に投句すればその場で、句の良し悪しが判明する。自作の評価が全くできずに悩んでいた私にとって、句会はリトマス試験紙のようなものである。結果がすぐにわかることが嬉しかった。

自句だけでなく、句友の句の評価も明らかにされるので、学ぶサンプルが多いのもよい。良い句と悪い句の見極めの方法や、自分の句の欠陥や弱点が自覚できる場が、句会である。

私の投句が句会で全句とも取られなかった場合、『全没(ぜんぼつ)』と呼んでいるが、がっかりして、嫌悪感にとらわれないといえば嘘になる。

実力者が多数参加するある題詠形式の句会を思い出す。毎月五句投句するので、年間計六十句の投句数だが、うち私が取られたのはたったの三句(うち一句がかしわもちの句)だったことがある。まだ俳句の神様に会っていなかった時期だ。幾月も全没が続いた。

毎月結果が出る度に頭を殴られている気分で、精神的にはきつかったが、句会の欠席は意地でもしなかった。この悪夢に耐えなければ、私は俳人として一人前になれないと思っていたから。今は雑巾がけをしている見習いの小僧の時期なんだと、そう自分に言い聞かせた。