句材探し

季節感も俳句の重要な要素である。

季節感の話をする前に、三人は未経験者だから、俳句の暗黙のルールについて説明しておこう。

文章の書き方の本は、たいてい最初に、5W1Hをいう。誰が、いつ、どこで、何を、なぜ、どのようにを、明示せよと教える。散文で字数の制限がなければ、これらをもれなく記述し、正確な文章を書くことができる。

しかし、十七音の韻文である俳句の場合は、音数の点から5W1Hを守ることは不可能である。そこで、俳句は座の文芸であることを活かして、決め事をすることでこの障壁を乗り越えようとする。俳句をする仲間内では、誰が=自分、いつ=今、どこで=目の前でと解釈することにする。また、なぜなどという理屈は野や暮ぼなこととして忘れることにした。その結果、俳句ではおおむね、『何を』と、『どのように』だけ示せばよいので、十七音でなんとか表現できる範囲に収まるのだ。

この俳句の暗黙の取り決めから外れる場合、例えば、『誰が』が自分でない場合、その旨記載が必要である。

秋深き隣は何をする人ぞ 松尾芭蕉

『いつ』は今であり、『何』は今目の前にある物なので、『何』を示すだけで『いつ』は省けるのではないかと考える人が増えた。桜といったら春に咲く、団扇は夏に使う、秋刀魚は秋に食べる、雪は冬に降る。これは、みんながよくわかっていることなので、わざわざ、春の桜、夏の団扇、秋の秋刀魚、冬の雪などとしなくてよい。特定の物(主に名詞)には季節がくっついている。それをまとめて、あらためてみんなの共通認識とするために、歳時記が作られた。

俳句を作る時、ある言葉の季節が不明ならば、歳時記を見ればよい。歳時記は引きやすくするため、時候、天文、地理、生活、行事、動物、植物などに分類されている。歳時記に記載がある言葉は季語と呼ぶことにし、その使用時に季節を添える必要がない。俳人の頭の中で、季語は季節と一体になっており、季語を見ると、その季節の温度、湿度、季節の記憶が自然に浮かんでくるのである。

こうして季語によって、季節感が明らかになり、季節の移り変わりや、季節の感動や発見がより容易に明瞭に表現できるようになった。